スウィングスは強制収容所へ—スウィング・ユーゲント[下]-(松沢呉一)
「ヒトラー・ユーゲントが必然的に生み出した反逆者たち—スウィング・ユーゲント[中]」の続きです。
斜体のかかった人名は「白バラ・リスト」に項目がありますので、そちらも参照のこと
国家の敵として認定されたスウィングス
以下は全国青少年指導者(これはヘンリエッテ・フォン・シーラッハの夫であるバルドゥール・フォン・シーラッハではなかろうか)の論文から。
スウィング・ユーゲントのメンバーは、今日のドイツとその警察、党とその政策、ヒトラー総統 、労働と軍の奉仕に反対しており、戦争にも反対しているか、少なくとも無関心である。
いいことです。
また、SSの報告書によると、このアングロサクソンかぶれの若者たちは兵役はまっぴらごめん、戦争には反対、国防軍の発表する戦果は疑い、「ハイル・ヒットラー」の代わりに「モーニング」とつぶやく。SS治安本部は「彼らの理想は民主主義的自由とアメリカ的怠惰である」との結論を出しています。もはや国家の敵であります。
直接に体制に対する闘いにならなかっただけで、明確に反体制の抵抗運動だったのです。
これが当局が把握できているだけで5,000人から6,000人という規模になっていました(おそらくハンブルクだけの数字。ケルンでも3,000という数字が出ている)。
1940年頃から逮捕、放校が始まり、ラインハルト・ハイドリヒが首謀者の強制収容所送りを命じ、いよいよ本格的な弾圧が始まります。
※Swing & Swing Kids この2人は逮捕されて写真を撮られ、ナチスの出版物に掲載されたとのこと。これを見たらやりたくなるのがいそう。
スウィングスは強制収容所へ
1941年から弾圧が本格化し、21歳未満はダンスホールに行くことが禁止され、これによってスウィングスの活動は地下化して、レンタルホールなどでパーティやセッションを実施。
1941年8月18日、警察がホールに踏み込んで、300人以上が逮捕され、首謀者の少年たちはモリンゲン(Moringen)強制収容所に送られました。
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