どうしていいのか見当がつかなかったとカール・シュナイダー—ビラがつないだミュンヘンとハンブルク[4]-(松沢呉一)
「抵抗運動の成果はほとんどなかった—ビラがつないだミュンヘンとハンブルク[3]」の続きです。
斜体のかかった人名は「白バラ・リスト」に項目がありますので、詳しくはそちらを参照のこと
ナチスドイツにとってヒトラーが最強の抵抗者だった
Wikipediaの「第二次世界大戦の犠牲者」から数字を挙げておきます。戦争前のドイツの人口は約7千万人、戦争による犠牲者数は軍人、民間人を合わせて700万から900万人、国民の1割以上に相当します。日本人もけっこう死んでますが、元の人口はドイツとほぼ同じで、犠牲者は300万人とされてますから、ドイツは最大でその3倍死んでます。
空襲や市街戦の死者も多く、国内でも人を殺し過ぎましたが、陸続きの場所での戦闘はよく人が死ぬのです。無闇に戦線を拡大し、東部への進行こだわったヒトラーの失策が大きい。若い世代の男に限れば4人から5人に1人は死んでいましょう。もっとかも。
この数字にはドイツ国籍のユダヤ人で殺された人が含まれているのだと思われますが、在ドイツのユダヤ人で殺されたのは14万人程度とされているので、大多数はそれ以外であり、大多数はゲルマン民族なのです。
ナチスがドイツ国内や占領地域のユダヤ人を殺した総数は 500万人とも600万人とも言われています。もともと帝政ロシアから逃げてきた人たちが多かったポーランドなど東ヨーロッパにいたユダヤ人が大量に殺害されています。
もっと少ない計算も、もっと多い計算もありますが、殺したユダヤ人と同じ程度、あるいはそれ以上のゲルマン民族が地上から消えていきました。ゲルマン民族の優越性と反映を高らかに謳いあげた結果がこれです。
母数が少ないので、ユダヤ人の死亡率はもっともっと高いですが、ドイツ人にとって絶滅収容所ではない強制収容所の死亡率と、東部戦線に送られた兵隊の死亡率はたぶん後者の方が高い。まともに兵隊に行くより、スウィング・パーティをやって捕まった方が安全かもしれないくらい(彼らが入れられたのは青少年の収容所であり、もともと戦争に行かなくていい世代です。戦争末期は少年たちが最前線に送り込まれていましたから、結局は一緒です)。
ナチスドイツを崩壊させた最大の貢献者はヒトラーです。ヒトラー支持者たちは売国奴であり、反対した人たちは愛国者です。ドイツは長らく売国奴が多数を占める国家になってました。
※Dead German soldiers after the Battle of Stalingrad, 1943 スターリングラードの戦いの跡。見渡す限りドイツ兵の遺体。冬だから腐りにくいのが幸いですですが、春が大変。後片付けの心配をしている場合ではないですが。
微々たる効果のために多数の人が死んだ
結局のところ、売国奴の数が多すぎて、愛国者たる国軍内の抵抗勢力を含めた反ナチス抵抗運動が上げたはっきりした成果ってなんもない。
ナチス幹部への暗殺の類いが成功したのはハイドリヒ暗殺計画であるエンスラポイド作戦(Operation Anthropoid)くらいですが、あれを実行したのはチェコスロバキア亡命政府が送り込んだ刺客ですから、抵抗運動とあんまり関係なし。チェコの人たちも協力はしていますが、報復で1万人以上殺されているのがなんとも。なんにせよチェコ人であって、ドイツ人じゃない。
ドイツ人はビラまいたり、落書きしていたり、暗殺計画に失敗していたりしただけです。やってもやらなくてもほとんど一緒。やってもやらなくても一緒のことで、抵抗運動に関わった人々は殺されていきました。戦中だけで数千人です。
悲しいかな、これが現実。
(残り 2148文字/全文: 3701文字)
この記事の続きは会員限定です。入会をご検討の方は「ウェブマガジンのご案内」をクリックして内容をご確認ください。
ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。
会員の方は、ログインしてください。
外部サービスアカウントでログイン
Twitterログイン機能終了のお知らせ
Facebookログイン機能終了のお知らせ