松沢呉一のビバノン・ライフ

ヴァイマル共和国時代に登場したフラッパーたち—ナチスと婦人運動[1]-(松沢呉一)

 

第一次世界大戦で実現した女性の社会進出

 

vivanon_sentence売春婦の元締めはユダヤ人だった?—ナチスはなぜ売春婦を抹殺しようとしたのか[1]」で見たように、安達堅造著『ナチスの真相』(昭和八年)には、ナチスが台頭してから、売春婦たちの姿が消えたと書かれていました。1933年の本ですから、まだ個人売春が許されていたはずですし、娼家も営業をしていたはずです。

たんにいい加減なことを書いた可能性もありつつ、あまり目立つことはできなくなっていた可能性があります。H・P・ブロイエル著『ナチ・ドイツ清潔な帝国』にそれを窺わせる記述があります。

この本の第一章は「市民・農民・貧民」と題されていて、中身がわかりにくいですが、社会構造の変化と道徳の変化あるいは無変化といったテーマです。ここでは女性の地位も取り上げられており、「女言葉の一世紀」でも書いていた「戦争と女性の社会進出との関係」が的確にとらえられています。

大正から昭和にかけて女の職業は拡大—女言葉の一世紀 78」や「東京市による画期的な婦人職業調査 1—女言葉の一世紀 94」あたりを読んでいただくと、日本でもこの時期に飛躍的に女性の社会進出が進んでいったことが理解できるはずですが、ヨーロッパにおいてはこの変化がさらに劇的に進行していきます。

まずは産業革命による工業化が女性の労働力を求めます。この段階での「女性の労働力」は安い賃金による単純労働を意味しており、端的に言えば「誰でもできる労働を男性より安く使い捨てられる労働力によって満たした」ってことです。

やがて欧州大戦、つまりは第一次世界大戦がこの中身を変質させていきます。男たちが戦地に赴き、その穴埋めを女たちがするようになったため、これまでは女ではできないとされていた分野にも進出をし、「いくらでも交換可能な安い労働力」から、「必要不可欠な労働力」になったことによって、評価も賃金も上昇してきます。

男たちが戦地から帰ってきて、女の仕事は一部男にまた取って代わるわけですが、女の社会進出の大勢は変わらず、発言力も増して第一次世界大戦終了の翌年1919年にはドイツでも婦人参政権が実現します。

1913年に長期の欧州旅行をやった森律子は世界大戦の前ながら、世界大戦後の事情を見据えていました。女たちがひとたび得た仕事は戦争後には奪い返されるけれども、女たちの社会進出は止まらないのだと。

Joan Crawford in typischem Flapper-Look 

 

 

フラッパーの時代

 

vivanon_sentence世界大戦が終わると、とりわけ若い世代では、スカートが短くなり(それまではくるぶしまで隠れる長さ)、帽子のつばがなくなり、髪の毛も短くなり、コルセットをしなくなり、自由で活動的な格好をするようになります。

日本で言えば大正から昭和初期であり、ハイカラからモダンガールに変換した時代、欧米で言えばフラッパーの時代です。

日本では和装から洋装への変化になるので、活動的な印象になることがわかりやすいわけですが、ちょうどこれがヨーロッパにおいて社会環境が劇的な変化を遂げた時期だったわけです。見た目だけではなく、社会的地位も行動も大きく変化しました。

戦争を契機にして社会進出を実現し、経済的自立も実現。戦時には実現できなかった自由な行動を戦争後にやり始めたと言えます。

この時代には煙草を吸い、酒を飲むことが「イケてる女」の行動でもありました。日本のモガに煙草を吸うイメージはあまりないですが、吸わなかったわけではなく、それまでにも日本女性は煙管で煙草を吸うことがごく当たり前に見られたため、煙草はとくに新しい動きとしてはとらえられず、絵葉書や雑誌等で小道具として用いられることが少なかったためではなかろうか。

少ないながらも、煙草を吸う美人絵葉書は存在はしているのですが、たいてい和装です。農作業の合間に一服しているところであって、モダンな小道具ではなく、ありふれた小道具です。雑誌ではヨーロッパの真似をして、モダンガールが長い煙管(というよりフラッパーたちが好んだタイプのパイプの類)を吸う写真やイラストもありますが、ヨーロッパほどは見られない。

 

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