松沢呉一のビバノン・ライフ

保守系婦人運動家たちの期待に応えたナチス—ナチスと婦人運動[3]-(松沢呉一)

婦人参政権を得て投票した先は…—ナチスと婦人運動[2]」の続きです。

 

 

フラッパーやモガは一時の徒花に過ぎなかったのか?

 

vivanon_sentenceすでに見たように、フラッパーの登場は、第一次世界大戦後に実現した女性の社会進出、地位の向上の結果であり、それらがあったからこそ、酒やタバコを楽しみ、フェッションや化粧、髪型に金を使い、性的な自由も獲得することができました。

しかし、『ナチ・ドイツ清潔な帝国』の著者H・P・ブロイエルは、旧来の道徳を乗り越えるように見えたフラッパーたちの動きをあまり評価しておらず、そう見えたのは錯覚だったとしています。

たしかにドイツのフラッパーにせよ、日本のモガにせよ、あっさり消えていってしまったのを見ると、一時の徒花でしかなかったとも言えますが、ナチスへの抵抗の萌芽はここに(も)あったのだと私には思えます。

ヴァイマル共和国では、同性愛者、バイセクシュアル、トランスジェンダー、トランスヴェスタイトらが活動し、多数のゲイクラブが存在し、多数のゲイ雑誌が出され、キャバレー文化が花開き、ダダイズムが盛り上がりを見せ、それらは時にアナキズムとも連携していました。

ヒルシュフェルトらによる、刑法175条撤廃の署名運動には、科学者、文学者、思想家らが名を連ねています。同性愛者たちは決して孤立していない。社会の一部であれ、サポートがあり、共感があったのです。そのことは、前に取り上げたDailymailの記事がよく伝えています。

Marlene Dietrich in The Blue Angel 1930 シルクハットという同性愛クラブはマレーネ・ディートリヒも常連だったんですってよ。ディートリヒもナチスを嫌って米国へ移住した口です。

 

 

個人主義の始まり

 

vivanon_sentence私もまだそれらについてはわかっていないことが多すぎますが、これらの動きも1933年を境にしてあっさりナチスとそれに同調する人々に潰されました。

それらと同時にフラッパーたちも潰されます。ナチスはフラッパーたちのファッションや生活を嫌悪し、それらをもユダヤ的とし、女性を男性化するものと見なしました。おおざっぱなナチスの分類では、「ユダヤ=女性解放思想=フラッパー」だったようです。ユダヤ退廃文化のひとつってわけです。

ユダヤはともかく、フラッパーは女性解放の典型的ありようだった、少なくともその結果だったという見方は正しくもあって、ヘレン・ストーカーのようなタイプの婦人運動家と同じくフラッパーたちはナチスの時代を生き延びることは困難でした。

しかし、ただ意味のない徒花として葬るのではなくて、そこに有効な闘いがありえたかもしれないことを考えたい。そう考えていかないと、すべての抵抗運動はナチスに対してさしたるダメージを与えられなかったとして切り捨てていいことになります。

ここまで見てきたように、白バラも、スウィングスも、個人主義に基づいた抵抗運動です。だから、全体主義的なヒトラーユーゲントやドイツ女子同盟を嫌いました。

ハンスとゾフィーの父であるロベルト・ショルがそうであったように、ヴァイマル共和国時代にリベラルな思想を実践した世代がナチスに抵抗し、またその子どもらが抵抗をしました。親子の関係だけでなく、ヴァイマル共和国時代の空気を直接、間接に感じ取ったことが抵抗に向かわせたのだと思います。フラッパーたちもその空気を作り出す役割を果たしたはずです。

何をどうしたって勝てなかったのだとしても、これらの人たちへの私の中の共感は変わらない。同時に宗教であれ、ナチスであれ、道徳的婦人運動であれ、全体主義への嫌悪も変わらない。

The 1920’S: Flapper Hair 着色しました。

 

 

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