松沢呉一のビバノン・ライフ

末次由紀に対する講談社の姿勢が手本—懲戒の基準[21]-(松沢呉一)

東洋英和女学校と岩波書店の対比—懲戒の基準[20]」の続きです。深井智朗・元東洋英和女学院教授の件はこれで終わり。

 

 

 

再発防止は可能か?

 

vivanon_sentence東洋英和女学院の報告書では、再発防止について以下の対策を挙げています。

 

 

著作権に関する知識がないために起きる著作権侵害は知識をつければ解消できます。やっていけないことであるとの認識が甘かったために起きる著作権侵害は認識を深めれば解消できます。

しかし、今回は、著書を多数出していた教授ですよ。アカデミズムの世界では捏造や盗用は厳禁であり、その先例が多数あって、そんなことをやったらどうなるかわからないはずがない。わかっていたから「立証妨害」をしました。わかっていてもやってしまうタイプの人に「認識の強化」なんてことをいくらやっても無駄ではなかろうか。

対外的な信用を得るという意味では、また、認識が薄い層への抑止を期待する意味では、厳しく調査し、厳しく処分し、再教育しなおす意義があって、甘い対処で済ますことこそ批判されてしかるべきですが、深井氏のようなタイプについては、それらの対策によって同様のことが起きなくなるとは思えない。

これはとてつもなく深井氏は悪質な人物であって、同様の人たちによる不正な著作物の予防は困難と言いたいのではありません(その可能性がないと言っているわけでもないですが、たぶん深井氏はそういう人ではないのだろうとの感触があります。詳しくは以下)。

 

 

対策可能な盗用

 

vivanon_sentence東洋英和女学院と創価大学の処分の違い—懲戒の基準[18]」に書いたように、ついうっかりで起きる著作権侵害は間違いなくあります。

たとえばテレビ番組で、どこかの社長のインタビューを撮って、壁にかかった絵をアップにしたら、絵の作者から訴えられたケースとか。これは実際に裁判になってテレビ側が負けたと記憶しますが、画面に飽きが来ないように、カメラが背後の本棚をなめたり、窓の外にパンしたりするじゃないですか。その時に壁に絵があったら撮ってしまいそう。まずいとわかっていたとしても、「貶すわけでなく、これで訴えられることはないだろう」と私も考えると思います。

漫画家がバスケットボールの試合を描くのに、どこかの雑誌に出ていた写真をトレースしてしまうのも理解できます。絵だと抵抗があるとして、そのポーズは選手が創作的に表現したものではなく、カメラマンはそれを偶然定着させたに過ぎない。どこからどう撮るかには創作性が反映されるとしても、ポーズには著作権はないと思えます。

実際、スポーツのポーズ自体に著作権があるわけではなく、自分で撮った写真をトレースする分には著作権上の問題はない。そこにあるものを写し取ったのはモデルのいる絵や風景画だって同じですから、絵だと抵抗があって、写真だと抵抗がないのはおかしいと言えばおかしいのですけど、写真は現実そのままを機械的に切り取ったものと認識できるためにそう感じてしまうのは理解できます。

あるいは原稿が書けず、あと3時間で原稿が落ちると言われ、手元にあった昭和初期の本を「著作権が切れているだろ」と、今っぼい文章に直して使うとか。著作権が切れても人格権があるので、他人の文章を自分のものとして出してはいけませんけど、こういう切羽詰まった状況では難しいことは考えられない。

といったようなパクリは正確に著作権を理解すること、「このくらいはいいだろ」と思わないこと、切羽詰まった状況を作らないこと、画面に飽きが来そうな時は青空でも撮っておくことなどで再発は防げます。

※東洋英和の先生方は肩身が狭かったでしょうが、調査委員会の毅然とした姿勢と懲戒解雇処分で一安心というところか。これを曖昧にしていたら、モヤモヤがずっと続き、学校に対しての信頼も揺らぎます。東洋英和のサイトより

 

 

理解できない盗用や捏造は対策不可能

 

vivanon_sentenceざっと見ただけでは、深井・元教授がどうしてそういうことをしたのかさっぱりわかりませんでしたが、「ついうっかり」の範囲がとてつもなく広い人なのではなかろうか。悪意の人ではなく、マヌケな人ってことです。褒めているのか貶しているのかわかりにくいですが、どちらでもありません。

 

 

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