松沢呉一のビバノン・ライフ

最新型の銭湯には人がいっぱい-改めて「観光視点」と「日常視点」-[銭湯百景 9]-(松沢呉一)

なぜ銭湯には提灯がないのか(答えは知らない)-[銭湯百景 8]」の続きです。

 

 

 

銭湯に必要なのは足を運ばせる情報

 

vivanon_sentence「富士山のペンキ絵」「木造の宮造り」「番台」「ケロリンの洗面器」といった古い銭湯のアイコンに沿うような銭湯記事が求めているのはノスタルジーです。ノスタルジーとしての銭湯は記憶の中で大事にすればよく、そんなもんで客は呼べません(そうなってしまう事情はいくつかあって、理解できる事情もあります。これについては次回やります)。

そこに私が魅力をあまり感じないのは、子どもの頃に銭湯に行ったことは数えるほどしかなく、そこに原体験めいたものがないためかもしれない。むしろ私のノスタルジーは、小学校の時に家にあった木の浴槽にあります。

釜に薪をくべる方式で、湯は風呂桶の下から温めるので、底に足がつかないように簀の子が敷いてあります。北海道だったので、雪が降るシーズンの前に薪割りをして物置に積んでおく。子どもにとって薪割りは楽しいイベントでしたが、冬の風呂は寒かった。

「銭湯らしいイメージ」はメディアを通して得たものであり、銭湯に通うようになったのは大学に入ってからです。メディアによる銭湯イメージと現実の銭湯とはだいぶ違っていて、銭湯に行く時は、風呂に入る以上の意味はなく、そこに私のノスタルジーなんてものはありません。

古い木造銭湯は好きですが、ノスタルジーとはまた別であり、それは私の観光視点です。

初めて生で見た陰毛[1]-毛から世界を見る 42」に書いたように、銭湯を語る時には大きくふたつの視点があります。観光視点日常視点です。

私にとって古い銭湯が魅力的に見えるのは観光視点です。「たまには都会の喧噪を離れて鄙びた秘湯を訪ねたい」といった逃避気分を銭湯で味わう。この視点では、カビの生えたペンキ絵もまたよし。非日常ですから、マイナスポイントもプラスに転じる。

対して日常視点では「利便性、機能性、清潔さ、快適さ」が求められます。

観光視点の高い寂れた銭湯は潰れていき、日常視点でポイントを上げる最新型に人が集まります。当たり前のことです。毎日なり3日に1度なり、あるいは週に1回でも日常的に行くなら日常視点で選択します。

リニューアルの際に露天風呂を設置し、天然温泉にする銭湯がよくあるのは、日常視点としても観光視点としてもポイントが高いためです。

※東京都浴場組合のサイトより豊島区椎名町の妙法湯。ここも本年リニューアル・オープン。リニューアルになってからは行ってないし、その前もどんな銭湯だったか記憶がないですが、今は壁の絵はないようです。この写真の雰囲気だったらいらんでしょう。「ロビーと脱衣場の床は肌ざわりに優れたベルギー製の新素材を敷き詰めている」ってところが気になります。

 

 

銭湯利用者が欲しい情報はペンキ絵ではない

 

vivanon_sentence「銭湯に行くのはペンキ絵があるからじゃねえよ」と思っている銭湯利用者は多いはず。つうか、大半がそうだと思います。

そういう人たちに向けた記事はネットに情報が出ています。

たとえば以下。

 

男前研究所より

 

この記事は納得の選択をしています。これらはデザイナーズ銭湯と呼ばれる路線です。

写真もきれいに撮れているなあ。行きたくなりましょう。私は全部行ってますが、これを見るとまた行きたくなります。銭湯に必要なのはペンキ絵の記事ではなく、銭湯に行きたくなる、こういう記事のはずです。

 

 

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