銭湯ではペンキ絵よりもタイル絵の方が実利的・衛生的・魅力的-[銭湯百景 6]-(松沢呉一)
「ペンキ絵がある銭湯は東京の銭湯の2割程度-[銭湯百景 5]」の続きです。
銭湯のペンキ絵の歴史は一世紀程度
前にも書いてますが、私にとってはペンキ絵よりタイル絵の方がずっと面白く、鑑賞に耐えうる質を持っています。
銭湯ごとの個性があるし、微細な表現も可能です。ペンキ絵だって、その気になれば個性的なものは描けるでしょうが、手間や時間をかけていると採算がとれない。どうせ数年で描き替えるのだから、凝るのは無駄ってことになってしまいます。
歴史的に見ても、富士山のペンキ絵が銭湯に描かれるようになったのは大正時代に入ってからですから、たいしたことはない。断定はできないながら、おそらくタイル絵(タイル画)が銭湯に登場した方が早い。
タイル絵というと、現在は単色のモザイクタイル(小型のタイル)を組み合わせて絵にするものが主流です。いわば点描画。前回の宇宙の絵がそれ。
壁の絵とは別に、カランの上にもよく横長のタイル絵があります。水中の絵だったり(上の写真)、城と湖だったり(「初めて生で見た陰毛[1]-毛から世界を見る 42」を参照のこと)。
これは定型の四角いタイル、定型の円形のタイルと、不定形のものとに分かれます。
これに対して、無地のタイルを合わせて絵を描いて焼き付けるタイプのタイル絵があります。古い銭湯に行くと、浴槽の脇やカランの上に鯉の絵や京都風の風景画があったりします(右の金閣寺がそれ。ぼんやりしているのは湯気のため)。おそらくこれらは既製品ではなくて、タイル業者に頼んでサイズに合わせて作成してもらったのだろうと思います。
このタイプが銭湯のタイル絵の始まりではないかと思うのですが、確認はできていません。
単体、あるいは複数のタイルに絵が描かれた絵タイル(一番下の写真参照)と言われる既製品もありますが、これを除くと、タイル絵は大きくその二種です。
おそらくタイルの方が銭湯との関係は長い
明治時代からタイルは銭湯に使われていたはずで、そのことを実感したのは京都の船岡温泉でした。
私の計算では、温泉地を除いて、日本でもっとも人口比で銭湯が多いのは京都市で、京都を代表する銭湯が船岡温泉です。1923年に創業開始し、あちこち改装はしていますが、当時のまま残っている部分も多くて、ここでもっとも私の興味を惹いたのがタイルでした。
この写真は船岡温泉のサイトから借りたものです。両サイドの壁はパッと見、昔よく台所の床や壁に貼られていたビニールのシートのようですが、これは全部タイルです。明治末期から盛んに日本で製造されていたマジョリカタイルと呼ばれるものです。昭和期に入ると白いタイルが主流になるので、このタイルは創業時のものだと推測できます。
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