松沢呉一のビバノン・ライフ

鞭打ちを正視できなかったルドルフ・ヘス—ルドルフ・ヘス著『アウシュヴィッツ収容所』を読む[4]-(松沢呉一)

ヘスは強制収容所に入れられた政治犯とセックスしていた!—ルドルフ・ヘス著『アウシュヴィッツ収容所』を読む[3]」の続きです。

 

 

 

多くの人がやるであろうごまかし

 

vivanon_sentenceヘスが収容者である政治犯を愛人していたことを手記に書かなかったことは、「同じ状況に立ったら、多くの人がやるであろう範囲」を超えるものではなくて、私も間違いなく伏せたでしょう。それによってことさらルドルフ・ヘスの人間性を疑うようなものではなく、相手がどうなるのかを考えれば、むしろ書かなかったことに人としての誠意を見るべきではないか。

もし私があと数ヶ月で確実に死ぬとしても、自分の人生を振り返った手記なんて書かないと思いますけど、仮に書くことになったとしても、書かないこと、書けないことはあります。積極的なウソに比して、触れないことはそれほど抵抗がない。どのみち触れないことはいくらでもあるわけですから。死に行く人が誰しも正直に真実をすべて書き残すのであれば、歴史の謎はもっともっと少ないはずですけど、誰しも書かないことはあるってもんです。

この場合はただのワタクシゴトでは留まらないですが、それでも触れなかったことは責められない。

それをどう評価するかの問題はあれども、ルドルフ・ヘス著『アウシュヴィッツ収容所』には、肝心なことでも伏せていることがあることは間違いがない。誇張されているところもあるでしょう。

連合軍に捕まって、敵ベースの裁判をやってきた身としては神妙になるってものだし、冷静に起きたことを振り返れば反省すべき点はあるでしょう。押し殺していた感情が浮上してきて、それを語ることにもなります。

ニュルンベルク裁判の被告の中には、ゲーリングのようにナチスの正当性を主張したのもいますが、たいていは反省を見せつつ、「しかし、命令に従うしかなかった」と弁明するってもんです。ヘスもそうでした。ヒムラーが「総統の命だ」と命じてきたことに従っただけだと。命令に絶対服従である上に、ナチスでは上に反対をすれば放逐されるか、場合によっては処刑されますから、それはそれで事実です。

一方で、裁判にかけられたわけではないナチス党員には、戦後間もなくネオナチ活動を始めたのがいますし、ヒムラーの娘のように、遺族でネオナチ活動をしたのもいます。うまいこと逃げた人々の中には、いよいよナチスの正しさを自身に言い聞かせたのもいただろうと思います。立場によってこうも変わる。

といったことを考えると、処刑される前というだけでも特殊な状況のものではあって、ここには誇張等は確実にあって、すべてがそのままだと思わないながら、この手記で述べられたヘスの心理はズルさを含めて相当まで納得できるものでした。納得できるがゆえに怖いのです。

ニュルンベルク裁判の記録フィルムから証人として出廷したルドルフ・ヘス。もともとなんだろうけれど、声が高く、自信なさげな印象の話し方に聞こえます。角度によってはまた見え方が違いますが、この映像だと見た目も情けない。

 

 

鞭打ちを正視できないルドルフ・ヘス

 

vivanon_sentenceここまで書いてきたのは「この手記はどこまで信用できるのか」についてでした。

では、手記を読み進めていきましょう。ヘスは、刑務所から出て、ナチスとも関係の深い「農業志願青年運動」に参加、農業をやろうと決意してました。そのはずだったのに親衛隊に入ったのは、そこで知り合ったヒムラーの誘いです。

 

 

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