松沢呉一のビバノン・ライフ

決定的な対策はないけれど、いくらか効力が期待できる対策はある—カンニングの仕組み[7]-(松沢呉一)

ルールを厳しくしすぎると効力がなくなる—カンニングの仕組み[6]」の続きです。

 

 

 

決定的な対策などない

 

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ナチス・シリーズの「ナチスと婦人運動」でも見てとれるように、「規範の強化、処罰の強化」は行き過ぎると効果をなくします。無闇に厳しくしても不正を防げず、それどころか、ルールの無効化をもたらし、抵抗を生み出します。

学業の不正で言えば、学校側が厳しい処分を打ち出すと、学生側に対学校の共同意識が生まれて、集団不正の発生を促すのです。さらに規則に対する疑念は、教員の中にも学校に対する反発心を生み、非協力的な姿勢を招き、学生と教員の共同戦線が成立します。

「厳しく罰すれば解決する」と信じて疑わない人々は、そうなるとまだ罰が軽いと考えてさらに重罰化を進めるのがパターンです。ナチス的な人々は日本にも多数いますので気をつけましょう。

そもそもの話に立ち返ると、世界各国どこも不正について頭を悩ませるようになっているのは、科学技術の分野が始まりです。研究費の増大という事情がこの背後にあります。数十万円程度の研究費であれば、その研究には成果がなかったことが明らかになるだけでも意義があったと言えましょうし、恣意的分析程度では誰も文句はつけないでしょうけど、数百万、数千万、数億といった単位の研究費を費やしたとなると、なにかしら成果を出さないと面目が立たず、次年度の研究費が打ち切られる。そこに不正が発生しやすい事情があります。

このことから大学が対応を迫られ、研究者に対するチェックが厳しくなり、懲戒も厳しくなり、大学全体にその規程が適用されるようになったため、ついでに科学技術分野以外でも不正がクローズアップされるようになっていますが、もともとの事情と文系各部はあんまり関係がなく、所詮「ついで」です。

引続き研究活動での不正対策はやればいいとして、学部生については日本では改善が難しく、改善する必然性も薄いので、ほっといていいんじゃないか。ここまで書いてきてナニですが。

同じ大学で不正に対する処分に違いがあるのはまずいですから、そうもいかないでしょうけど、不正を完全になくすことは無理というところから始め、改善できるところはゆるく改善していくのが賢明です。

米国においても厳しくしたことが必ずしも効果を上げていないように見えますが、一方で有効かもしれないと思える対策もあります。

懲戒のルールなんて、通常学生は読まないですが、最初の授業でその旨を説明し、違反に対しては厳しく処分する同意書にサインさせる。日本でもこれを実践している教員が出てきているようです。これは有効だろうと思います。そのルールを実行しなくても、「損をする」ということをわからせることでメリットとリスクの計算式のバランスを崩して不正を抑止する。

同意書の範囲での処分に対する不服の裁判を起こされても対抗できますから、教員なり学校なりも処分に踏み切るハードルが下がります。これも程度によりけりではありますが。

※留学生が自身の体験を書く「留学VOICE」では、米国への留学生が、不正に対する説明が最初になされることを綴っています

 

 

告発窓口の効果

 

vivanon_sentenceもうひとつ有効だと思える対策は告発窓口の設置です。

今まで見てきたことでわかるように、学生は集団としての意思に支配されることがあり、対教員、対学校のバトルの構図の中にいると倫理観が働かなくなります。また、教員も時に「学生を守る」という意識が働いて、対学校、対文科省とのバトルの構図に中にいる場合があります。実感からかけ離れた厳しい処分を課す規則になっているといよいよそうになります。

集団意思に基づいた甘い姿勢をよしとは思わない学生や教員にとっては告発窓口の設置は有効。あまりに厳しい処分を懲戒規定に定めると、この告発もためらわれることになるので、処分は納得しやすい範囲にしておいた方がよさそうです。

 

 

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