松沢呉一のビバノン・ライフ

処刑現場を見ると卒倒しそうになるヒムラー、人を殺していないヒトラー—人間が悪魔化するとき[下]-(松沢呉一)

虚像としてのヒトラーは生き続ける—人間が悪魔化するとき[中]」の続きです。

 

 

 

処刑現場を見ると卒倒しそうになるヒムラー

 

vivanon_sentenceヒトラーの次の悪者は誰かについては意見が分かれるところでしょうけど、ただの宣伝マンではなく、「水晶の夜」を主導して、ホロコーストへの道を開いたゲッベルスか、SSの最高責任者であるヒムラーか、その部下でユダヤ人の最終解決の責任者であるハイドリヒでしょう。

私はヒムラー押しです。ヒムラーも性格的に相当におかしなところがあります。

23歳の時に兄が婚約、ヒムラーはその婚約者は処女ではないのではないかと疑い、興信所に調査を依頼し、自身でも調査をして、婚約者自身にそれを問う手紙を送っています。どんだけおせっかい。どうやら兄は相手を疑ったのでなく、弟の行動が疎ましくなって婚約を解消したようです。ヒムラーはこの時まだ童貞なので、矛盾なき行動ではありますが、おかしいでしょう。

しかし、これは彼の生真面目さを物語エピソードに過ぎないかもしれない。私らの周りにいるかもしれない程度のおかしさです。

そのヒムラーもその辺のおっさんであったことが垣間見えるところがあります。ヒトラーからの最終解決の命令に従い、かつ命令を下しながら、本人は虐殺の現場に立ち会うと気分が悪くなることがたびたびありました。

以下はWikipediaより。

 

部下たちの残虐な処刑を視察してヒムラーの気分が悪くなったという証言が複数ある。

1941年8月、ヒムラーはミンスクでアルトゥール・ネーベ親衛隊中将の指揮するアインザッツグルッペンB隊の銃殺を視察し、ネーベに100人を自分の目の前で銃殺するよう命じたが、女性も多数混じっており、それを見ていた彼は気分を悪くしてよろけ、危うく地面に手をつきそうになってしまったという(親衛隊大将エーリヒ・フォン・デム・バッハ=ツェレウスキーの証言による)。アインザッツグルッペンの殺人活動が銃殺からガストラックによる殺害に変更されたのはこのためではないかといわれている。

1941年12月15日、ハイドリヒがベーメン・メーレン保護領副総督として統治していたプラハを視察したヒムラーは、プラハ聖堂横の広場で行われた大規模な公開処刑を見学した。ところが掃射された直後に彼は気を失って椅子にどさりと座り込んだという。ハイドリヒが警察長官とともにヒムラーの肩を掴んで助け起こしメルセデス・ベンツまで運んだが、ハイドリヒの顔には軽蔑の色が浮かんでいたという(クルト・シャハト=イッサーリス親衛隊大将の証言による)。

強制収容所の視察中にヒムラーは、ユダヤ人のガス室処刑の様子を覗き穴から見たが、彼は気分を悪くしてガス室の裏へまわり嘔吐したという。この様子を見た二人の親衛隊員は最前線に送られることになったという(強制収容所の囚人ハンス・フランケンタールの証言による)。

 

冒頭に出てくるミンスクの件では、ヒムラーは自分で命じておきながら、あまりの残酷さに耐えられず、銃殺を中止させています。

ここから銃殺ではない方法として、絶滅収容所でのホロコーストに流れていきます。強制収容所でも銃殺は行われていましたが、やがて排気ガスを使ったガストラックやチクロンBの使用がメインになっていきます。チクロン採用については、ルドルフ・ヘスの手記『アウシュヴィッツ収容所』でも説明されていますが、抵抗されることが少なく、効率のいい虐殺が可能だったのと同時に、殺される側が苦しまなくて済む「人道的措置」だったのです。

それでも、アウシュヴィッツを視察した際、ヒムラーは虐殺の現場を見て無口になったことをルドルフ・ヘスが『アウシュヴィッツ収容所』に書いています。

Auschwitz – Erinnerungen des häftlings nummer 1327 毒ガス(殺虫剤)(Zyklon-B)

 

 

ヒトラーはおそらく人を殺したことがない

 

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ヒトラーは戦争が始まって以降はほとんど引きこもり状態で会議、会談をこなしていて、戦争は今までと違って、思い通りにはならず、心身ともにボロボロになっていき、やがてはパーキンソン病で苦しんで覚醒剤に依存

絶滅強制収容所ができたのは戦争中の1942年ですから、収容所での虐殺の現場を見ることは一度もありませんでした(たぶんそうだろうなと目星をつけていたのですが、グイド・クノップ著『アドルフ・ヒトラー五つの肖像』にそう書かれてました)。そうする必然性もなかったでしょうが、ヒトラーが子どもを虐殺する現場を正視できたとは思えない。

「長いナイフの夜」で粛清対象を逮捕するところには出向いていても、ヒトラー自身は誰も射殺していないと思います。してみると、ヒトラーは自身の手で人を殺したことは一度もないのではないか。第一次世界大戦でも、伝令役でしたし。何百万人もの人を虫けらのように殺した大量殺人犯は、自分では誰一人殺していない(かもしれない)。

ヒトラーは結果としての理想郷を思い描くだけで、その過程はすっ飛んでいるタイプですから、現実を見てしまうと理想が崩れてしまう。見たくないことは拒絶してしまうのがヒトラーでした。

ユダヤが敵だとしながらも、彼らは生身のユダヤ人ではなく、虚構のユダヤ人を憎悪していたように思えます。実際に彼らが描いたユダヤ人は現実と乖離した妄想でした。

強制収容所の最高責任者のヒムラーは人を殺すところを見ると気分が悪くなり、その上にいたヒトラーは人を殺せない殺人鬼でした。

 

 

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