松沢呉一のビバノン・ライフ

人々は失われた神をヒトラーに見た—ルドルフ・ヘス著『アウシュヴィッツ収容所』を読む[9]-(松沢呉一)

ヒムラーが頼った武士道とオカルティズム—ルドルフ・ヘス著『アウシュヴィッツ収容所』を読む[8]」の続きです。

 

 

 

集団に身を任せたい欲求がナチスを生み出した

 

vivanon_sentenceH・P・ブロイエル著『ナチ・ドイツ清潔な帝国』で著者はドイツ人の中にある「集団に身を任せたいという欲求」がナチスという共同体体験を生み出したことを指摘しています。この体験には、戦争という強烈な共同体の体験である第一次世界大戦も含まれるわけですが、それ以前にドイツ人にはそのような欲求があることを著者は踏まえているのだと思います。

同様のことを指摘したものは他にもあって、ドイツ人は権威を好み、強い背景を欲しがるといった趣旨のことが書かれていたのですが、今現在言われているドイツ人の気質からはそういう傾向を読み取ることはできません。

よく日本人とドイツ人は似ていると言われますが、これは勤勉という点に集約され、ドイツ人に「集団に身を任せたいという欲求」があるとしても、「ヨーロッパ諸国に比して」でしかなく、この気質は日本人の方がはるかに強いでしょう。「自己主張しない」「自己主張する人を嫌う」「長いものに巻かれる」「出る杭は打たれる」といった気質です。

とはいえ、キリスト教の信仰があったから個人主義が発展したなんて言われるように、時には絶対的な存在に身を任せているから個人は自由でいられ、自己主張ができるということもあり得ます。また、気質は時に潜在し、条件が揃った時に顕在化するということもあり得るため、個々人の意識をアンケートで調査したところで正確なところはわからないでしょうし、ナチスの台頭を見た時には「集団に身を任せたいという欲求」がそうさせたのだと見ることに無理はないように思えます。第一次大戦での敗戦によって辛酸をなめた、あの時期特有のものなのか、伝統的に根づいている気質なのかはわからないですが。

その欲求はドイツ民族、ナチスの言うアーリア民族という共同体に仮託されていくわけですが、この時期には左派でもナショナリズム・ボリシェヴィズムと言われる国家主義的社会主義の流れが生まれたように、一律の国家、一律の国民による共同体を志向する人々が登場していました。

Hitler at the Kroll Opera House April 28 1939.  これはカラーフィルムなのか着色なのか不明。これが怖いのはナチスの怖い記号に満ちているからであって、教祖様にかしずく信者たちの図は今現在もいたるところで見られます。記号を怖れても意味はない。記号を禁止しても意味はない。全体主義を怖れるべきだし、それを怖れない人たちをも怖れるべきです。

 

 

ドイツの宗教共同体

 

vivanon_sentenceここで重要なのは、プロイセン時代まで成立していた宗教共同体だろうと思えます。ナチスは反キリストと言われることがよくありますが、この見方は一面的でしかないことは「ナチス推奨の「積極的キリスト教」と帝国教会—バラの色は白だけではない[4]」ドイツ人とキリスト教のあまりに強いつながり—バラの色は白だけではない[5]」で説明した通りです。

初期のナチスにはカトリック系神学者であるベルンハルト・シュテンプフレ(Bernhard Stempfle)も深く関与しています。あまり着目されることのない人物ですが、彼は反ユダヤの雑誌も出していた人物で、トゥーレ協会メンバーでもありました。『我が闘争』の校正をし、一部は彼が書いたとも言われています。

彼もまた「長いナイフの夜」で殺されているのですが、なぜ消されたのかははっきりせず、暴走したSSが間違って殺したという説もあり、また、ヒトラーのことを知り過ぎたためとの説もあります。たしかにヒトラーは、神格化される前の自身の存在を消したがっていたふしがあって、その時代をよく知るレームもシュトラッサー兄弟もトゥーレ協会関係者も結局は追放されるか、消されています。

消された事情はともあれ、反ユダヤにせよ、独裁政権にせよ、プロテスタントにとってもカトリックにとっても、必ずしも対立する考えではなく、他の多くの人たちと同様、宗教者たちは当初ヒトラーを利用できるのだと考えていたふしがあります。反共のためだったり、反ユダヤのためだったり、自分らの勢力拡大のためだったり。

ヒトラーに利用価値があるとして近づいた者たちはたいてい痛い目に遭っていて、宗教者たちも同じです。ヒトラーもまたそれらの人々に利用価値があると思えている間は接点を維持しますが、利用価値がない、あるいは自分にとって煙たい存在になってくると距離を置き、場合によっては消します。宗教者たちはいずれそうなる運命でした。

ヒトラーが、自身をそれらの人々が信仰する対象より上位だと位置づけた段階で不要になる。ここからは反キリストの性質が露になります。

聖母教会を背景にしたヒトラー

 

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