松沢呉一のビバノン・ライフ

子どもを殺すことを命じたヘスが殺す人々を軽蔑する身勝手—ルドルフ・ヘス著『アウシュヴィッツ収容所』を読む[7]-(松沢呉一)

普通の人が普通の部分を残しながら普通ではないことができる仕組み—ルドルフ・ヘス著『アウシュヴィッツ収容所』を読む[6]」の続きです。 

 

 

 

その状態を作り出した元凶であるヘスが言うことか?

 

vivanon_sentenceヒトラーもヒムラーもヘスも、人を殺す現場は見たくありませんでした。だから、イヤな仕事は下請けの下請けといった形で押しつけていく構造になってました。

 

一度、二人の幼い子供が遊びに熱中してどうしても母親からはなれようとしなかったことがあった。特殊部隊のユダヤ人さえも、その子たちをすぐに引き離そうとしなかった。明らかに何が起るかを知って、慈悲を訴えるその母の眼差しを、私は絶対忘れることができない。室内にいる者たちは、すでに動揺し始めていた。——私は行動しなければならない。

私は、居合わせる下級隊長の一人に目くばせした。彼ははげしくあばれる子供たちを腕にかかえ、心も裂けよと泣きじゃくる母親とともに、その子たちをガス室の中に連れていった。いたましさのあまり、私は、なろうことならその場から消えてしまいたかった。

(略)

私にとって、この葛藤から抜け出す道は全く存在しなかった。私は、虐殺作業を、大量殺人をさらにつづけねばならず、さらに体験しつづけねばならず、心の底の焼けるような苦痛をも冷ややかに傍観しなければならなかったのだ。あらゆる出来事に、私は冷ややかに向い合わねばならなかった。しかも、余人ならばほとんど気にもとめぬような些細な体験が、私にはいつまでも頭こびりついて離れなかった。

 

「特殊部隊のユダヤ人さえも」とあるのは、「平気で人を殺せるような連中さえも」という意味です。人にやらせることで平気で人を殺せていたヘスがこんなことを書く資格はないでしょう。ヘス以上に彼らはそうしないと確実に殺されるのです。

 

ヒトラーに愛される子どもたちとドイツ兵に殺される母子。下の写真は東部戦線のものとしてあるものも散見できますが、アウシュヴィッツに展示してある写真のようです。上の写真のリンク先のブログはおそらくヒトラーマニア

 

 

自分はどこにいるのか?

 

vivanon_sentence離人症的な心理と関係していそうですが、ヘスは自分自身の責任を棚上げして、しばしば収容者を悪く表現しています。

ロシア兵の捕虜たちが食糧を奪い合って殺し合ったり、さらにはその人肉を食べるようなことが少なくなかったと記述したあと、こう書いています。

 

 

しかし、私は、この生き残った者たちが自分の同囚たちの犠牲においてのみ、しかも、彼らが凶暴で、より恥知らずで、「より鈍感だった」から生きのびられたのだ、という印象を絶対にぬぐいえない。

 

 

next_vivanon

(残り 2133文字/全文: 3289文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ