松沢呉一のビバノン・ライフ

ルドルフ・ヘスが死を前に考えたこと・娘のブリジットがヘスの死後考えたこと—ルドルフ・ヘス著『アウシュヴィッツ収容所』を読む[13](最終回)-(松沢呉一)

ナチスを動かしていたのはマゾヒズム—ルドルフ・ヘス著『アウシュヴィッツ収容所』を読む[12]」の続きです。

 

 

 

ナチスドイツで自殺者が多数出た理由

 

vivanon_sentence今現在、とくにドイツの自殺率が高いということはなく、日本の方がはるかに高い。ヨーロッパの中でもフランス、フィンランド。オーストリアなどの方がずっと高いし、東ヨーロッパはさらに高い。

日本では特攻隊を筆頭に戦地での命を賭けた闘い方はあっても、敗戦時は、ドイツほどは自殺は多くないだろうと思えます。データは見つからないですけど、敗戦時に限って言えば、ナチス、広くはドイツでは特別に自殺率が高かったのではなかろうか。死刑になるほどの大物ではなくても自殺をする。

ここまで見てきたように、ヨーロッパでは報復も過酷であり、民衆に、あるいは連合国に嬲り殺しにされることを恐れたための自殺もあるでしょう。ヒトラーは盟友ムッソリーニの遺体が痛めつけられ、吊るされたことを踏まえて、自分の自殺後は焼くように命じており、ゲッベルスも同様でした。

しかし、「男も女も望んでヒトラーの共犯者となった—ルドルフ・ヘス著『アウシュヴィッツ収容所』を読む[10]」に、戦争に負けて自殺した女の教師がいたという証言が出てきたように、責任などなく、よって報復も受けないはずの人でも自殺をしました。

これは信仰が終焉したためでしょう。絶対的な存在に依拠して作り上げられてきた自分自身が無になる。ヒトラーが死んで、自分も生きていく意味が消えてしまったのです。それだけ信仰が強かった。

しかし、ルドルフ・ヘスは自殺を選びませんでした。幹部は毒薬を渡されていたし、銃が使えるのですから、ヘスも少しは自殺を考えたと思いますが、それより家族とともに逃げることを選択しました。

いずれは南米に移住するつもりだったようですが、敗戦から10ヶ月後の1946年3月、ドイツ北部に潜伏しているところを英軍に発見されます。

ヘスもそうだったように、逃亡を選択した人たちのほとんどは、自殺することなく、そのまま逮捕されて裁判にかけられてます。自殺の実行率は時間が経つとともに減る。当然のことで、洗脳が解け、死を求めるマゾヒズムが機能しなくなる。

また、最初から信仰が薄かった人たちが逃げたのではないかとも思えます。ゲーリングは死刑判決が出てからの自殺ですから直後ではないですが、彼は最後までナチスの正当性を信じていた確信犯です。

Krakow, Poland, Postwar, Rudolf Franz Ferdinand Höß, the commandent of Auschwitz, in prison. 農家に隠れていたヘスが英軍に逮捕された時の写真。威厳もプライドも剥ぎ取られて、怯えているように見えます。

 

 

ヒトラーがほとんど出てこない不思議

 

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ヘスの手記を読んでいて、ちょっとひっかかったのは、ヒムラーに対する不満や批判は繰り返し出てくるのに、ヒトラー個人に対するはっきりとした批判がなかったことです。

幹部にとっては会議などで会うことがあっても、その下にとってのヒトラーは殿上人ですから、人となりがわかるところまでは至れない存在です。言うことがコロコロ変わり、見たくないことは見ず、その過程を考慮せずに結論だけを押しつけてくるのは、ヒトラーそのものですが、命令はすべてヒムラーから下されて、その背後にぼんやりとヒトラーの存在を感じるだけですから、不満もヒムラーに向く。収容者の怒りや恨みはナチス幹部より下っ端の親衛隊員や看守、カポに向くのと同じ。

会社員だって、直属の上司に不満は向いて、それを命じている管理職には不満が向かないことがありますから、それほど不思議ではないかもしれないですが、たとえば前回出てきたLIFE誌の写真で、自殺したナチス幹部は、ライプチヒの地域指導者ですから、党大会などでヒトラーと対面したことくらいはあっても、ヘス同様、懇意というほどではないはずです。それでもヒトラーの肖像を切り裂くくらいに恨みながら死んでいった。

 

 

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