公共の場での全裸が実現する条件—そろそろ刑法174条(公然わいせつ)と175条(わいせつ物頒布)を見直しませんか?[補足編 5]-(松沢呉一)
「表現を封じられると意識や行動も封じられる—そろそろ刑法174条(公然わいせつ)と175条(わいせつ物頒布)を見直しませんか?[補足編 4]」の続きです。
公共の場での全裸を実現する絶対条件
全裸自転車の動画を見ていて驚くのはそこに通りかかった人たちの多くが笑ったり、驚いたりしつつ、拍手喝采していることです。そういう人たちが多いから、これができると言えます。
ここが大事。ここが決め手なのです。
もう一度日本の刑法174条を見ていただきましょう。
(公然わいせつ)
第174条
公然とわいせつな行為をした者は、六月以下の懲役若しくは三十万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。
「そうは見えないかもしれないれど、全裸自転車はプロテスト—そろそろ刑法174条(公然わいせつ)と175条(わいせつ物頒布)を見直しませんか?[補足編 3]」でリストアップした欧米+αの国々でも、日本と同様の法律が存在する国はあるはずです。調べてないですが、おそらく基本はそんなに変わらない国が多いのではないか。判例は大きく違う可能性があるとして。
日本とさして法が変わらないから、ほんの数人ながら、全裸自転車で逮捕されたのがいます。解釈の問題でどっちにもなり得る。
しかし、すでにいくつかの文脈で公共の場での全裸が定着している国々、あるいはその地域においては、その趣旨も浸透し、猥褻だとは感じられなくなっています。
つまり、その社会を構成する人々の大半が、全裸で自転車に乗っているのを見ても、それを猥褻とは感じなければ、この法律のまま、公然猥褻は適用されなくなります。
日本でもそうです。現行の法律のままでも、国民の意識が変わり、メディアがサポートするようになれば実現は可能なのです。
しかし、全裸というだけで、すべて猥褻と感じる現在の日本ではとてもそうはなりそうにありません。
キリストを真似て自転車に乗ろう
WNBRを実施している地域でも、一部には歓迎しない人たちもいて、以下はまたまたキリスト教徒が妨害に来たところです。
2015年のポートランドでのWNBRでのことです。
またも狂信的キリスト教徒。
でも、キリストも全裸かそれに近い格好じゃろ。
Wikipediaよりアンドレア・マンテーニャ画「磔刑図」1459年
左はちょっとはみチンしてないか? 右も左もハミ毛しているし。
「あれは後世の画家が想像で描いたものであり、実際はスーツにネクタイ姿だった」とでも主張するのかもしれないけれど、絵に描かれた神様だって天使だってたいてい全裸か半裸です。「神様はいいけど、罪を犯した人間が全裸だと堕落する」と主張するのかもしれないけれど。
「時代が違う、あの時代は裸でよかった」というならその通り。私も賛成です。時代によって「猥褻とは何か」は変化するのです。その社会を構成する人々の多数が「猥褻ではない」と判断すれば一部に猥褻だと感じる人がいても猥褻ではない。それが刑法174条。
これに対して、たった一人でも「不快だ」と思えばセクハラだと誤解させるようないい加減な定義、ガイドラインが出てきてしまったのは困ったものであり、ついには一個人の容貌までがセクハラとして葬られる社会になってしまいました。
そんなバカなセクハラ定義を社会が相手にせず、多数が全裸バイクや全裸ボディペインティング、公園やビーチのナチュリズムをそれぞれの文脈に沿って容認するのがそれらの国々です。
(残り 2158文字/全文: 3705文字)
この記事の続きは会員限定です。入会をご検討の方は「ウェブマガジンのご案内」をクリックして内容をご確認ください。
ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。
会員の方は、ログインしてください。
外部サービスアカウントでログイン
Twitterログイン機能終了のお知らせ
Facebookログイン機能終了のお知らせ