松沢呉一のビバノン・ライフ

「Playing for Time」が描くオーケストラ—収容所内の愛と性[21]-(松沢呉一)

オーケストラを結成した女看守の教育長マリア・マンドル—収容所内の愛と性[20]」の続きです。

 

 

 

マリア・マンドルとアルマ・ロゼの連繋が生み出したオーケストラ

 

vivanon_sentence女子オーケストラの音楽上のリーダーはアルマ・ロゼでしたが、運営上の実質的なリーダーはマリア・マンドルです。

おかげで、オーケストラのための建物が建てられて、練習する場もあり、指揮者は個室を与えられました。

写真を見るとわかりますが、収容所の建物は通常床がありませんでした。雨水が入ってきたでしょうが、棚のようなベッドがあっただけで他に家具なんてない。荷物もないので、床が濡れてもいい。

しかし、オーケストラの建物は楽器を湿気から守るために木の床がありました。粗末ながら暖房もあり、労働も免除され、医療も受けられました。食事も特別待遇でした。

収容者には選別という手続きが定期的にあって、体が弱っているものを選び出してガス室に送る手続きです。オーケストラのメンバーでもこれは免れませんでした。しかし、選別で殺されたケースは一人もおらず、ほとんどが生還できたそうです。

これはアルマ・ロゼが、オーケストラのメンバーは全員生きて返すとの信念を抱いて交渉したからですが、では、どうしてマリア・マンドルは、それに応じたのかと言えば、音楽が好きだったのとともに、オーケストラが彼女の誇りだったからです。

娯楽の乏しい収容所ではセックスと音楽が親衛隊員の楽しみ。とくに親衛隊の誕生日会ではオーケストラの音楽を聴くのが恒例で、各収容所では自分のところのオーケストラを自慢し合っていました。おかしな感覚ですが、強制収容した政治犯なり、ユダヤ人なり、初期はジプシーなりによって構成されたオーケストラをナチスの上層部は自慢したく、その技を高めることに力を入れたのです。

女子オーケストラでそれが成功したのはマリア・マンドルとアルマ・ロゼとの連繋でした。マリア・マンドルはアルマ・ロゼが優れたヴァイオリニストであることに敬意も払っていたでしょう、ユダヤ人であろうとも。

しかし、アルマ・ロゼは1944年4月4日病死。腸チフスだったようですが、親衛隊から毒殺されたとの説もあります(そう書かれているものがあるのですが、親衛隊の誰がどうして殺す必要があったのかは不明で、マリア・マンドルがそれを容認したとは思いにくい)。

※ナチスに捕まる以前、オーストリアとチェコを拠点に公演をしていたアルマ・ロゼの1936年のプログラム

 

 

ファニア歌いなさい

 

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収容所内女子オーケストラについては、複数の本が出ていますし、以前取り上げたシモン・ラックス/ルネ・クーディ著『アウシュヴィッツの音楽隊』にも出て来ました。

アウシュヴィッツにあったジプシーのオーケストラはジプシーを絶滅させる方針によって解体し、残った男のオーケストラと女のオーケストラは、それぞれの収容所内を訪れて演奏会をするなどの交流がありました。どっちのオーケストラも頻繁に聴きに来ていたのは、ヨーゼフ・メンゲレでした。彼は人体実験をする際にも鼻歌を歌うことがあったらしい。

男のオーケストラが先行していため、楽器を女子オーケストラに提供したり、女子オーケストラにはチェロが弾けるのがおらず、男子オーケストラのチェリストが教えに行ったりの交流があって、メンバーにはそれぞれお気に入りがいたそうです。セックスまでしていたかどうかは書かれていないですが、中にはそういうのもいたでしょう。

女子オーケストラにはどこでどう調達したのかグランドピアノもありました。これもマリア・マンドルが協力しないと手に入れられない。

そのピアノを担当していたのはユダヤ系フランス人であるファニア・フェヌロン(Fania Fénelon)です。彼女はキャバレーなどでピアノと歌を演奏していたミュージシャンで、戦後、実体験を書いた自伝を出しています。ファニア歌いなさい』として邦訳も出ています。読みたいけど、もうナチスの本は封じたので、やめておきます。

以下はその本を原作にして、女子のオーケストラをテーマにした映画です(正確には米CBSで放送されたテレビドラマ)。

 

 

脚本はアーサー・ミラー(Arthur Miller)。

 

 

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