ヘレナ・コベルは精神を病んでいたとの証言—収容所内の愛と性[12]-(松沢呉一)
「反ナチス活動家にしてゲシュタポのスパイだったヘレナ・コベル—収容所内の愛と性[11]」の続きです。
責任感からベルゲン・ベルゼン収容所に引き返して死刑になった親衛隊員
他にもヘレナ・コペルの証言で死刑になったのがいます。
カール・フランシオ(Karl Francioh)は1912年生まれのドイツ人。親衛隊員ですが、料理人として雇われていました。それまでは炭坑夫で、アウシュヴィッツを経て、ベルゲン・ベルゼンに。ベルゲン・ベルゼンに入ったのは1945年3月に入ってからです。その間にノイエンガンメ強制収容所に行っており、ベルゲン・ベルゼンで働いたのは2週間程度のようです。
必要があって殴ったことは本人も認めていますが、ヘレナ・コペルはカール・フランシオが妊婦などを撃ったのを見たと言っています。カール・フランシオは「妊婦は隔離されていたので、そんなのは来たことがない」と反論しています。ヘレナ・コペルはこれに対して、「末期はルールが乱れてそういうこともあった」と弁明。たしかにそういうこともありそうですけど、ヘレナ・コペルの証言では信用ができない。
しかし、彼が射殺したと証言したのは他にもいて、ユダヤ系ポーランド人のドラ・サフラン(Dora Szafran)は、解放の前日、カール・フランシオほかの男たちが台所の窓から銃を撃ち、50人を射殺したと言ってます。
これの元になった話は実際にあったようで、カール・フランシオによると、収容者の反乱があったために、ハンガリー人の親衛隊グループが銃撃をしたらしい(親衛隊の主力が逃走してハンガリーの親衛隊が残っていた)。しかし、それは彼のいた台所ではなかったと。
結局、カール・フランシオは死刑になっているのですが、親衛隊員であっても私は同情してしまいます。
この人は逃げようと思ったら逃げられたのです。解放直前にひとたびは妻と逃げながら、「収容者を愛していたから」として4月12日、ベルゲン・ベルゼン強制収容所に戻ってきています。「愛していた」は大げさだとして、自分がいないと食事はどうするのかくらいのことは考えたのでしょう。責任感です。
事実、彼は4月17日か18日に逮捕されるまで、解放後も台所仕事を続けた唯一のコックだと言っています。
戦争が終わりかけていること、もし殺人までやっていて英軍に捕まったら裁判にかけられて死刑になるかもしれないこと、少なくとも数年は外に出られないことはわかっていたはずです。彼の背後には戻ってこなかった親衛隊員が多数います。この行動を見る限り、やってないと思うなあ。
同じ台所で働いていたフランス人女性の収容者レイモン・デュジュ(Raymond Dujeu)は彼のことをこう評しています。
「例外的親衛隊員であり、親切さでは誰にも負けなかった」
ヘレナ・コペルは精神を病んでいた
どうもヘレナ・コペルは精神を病んでいたっぽくて、同じくボーランド人のカポで、ヘレナ・コペルと懇意だったスタニスラワ・スタロスカ(Stanislawa Staroska/Starostka)は、「彼女は疲弊して神経衰弱寸前だった」と証言しています(姓が二種あって、片方は誤植かと思われ、ここではStaroskaを採用)。
ヘレナ・コペルは逮捕時と、裁判前に自殺未遂を起こしていて、これも彼女の不安定な精神を物語っていましょう。そりゃ長期間収容所に入れられていたら精神を病むのもいます。
スタニスラワ・スタロスカが指摘しているのは一時的なものに過ぎず、ヘレナ・コペルの証言自体を否定するものではないかもしれないですが、ヘレナ・コペルの証言には多かれ少なかれ誇張がありそうです。
ヘレナ・コペルの写真にもそれが出ているように思います。前回出した写真は裁判が始まる前、ここに出した写真は逮捕された直後のものですが、どちらも同じように下を向いていて、たまたまではない。それにしても余裕のある体型をしていて、スパイをしながらいいもん食っていたことを窺わせます。
他の人たちはおおむね正面を見ています。目は中空を見ていたりしますが、どれも不自然ではない。しかし、ヘレナ・コペルは下を向いていて、撮られることを嫌がっているようにも見えます。この人は人の目を見られなかったんじゃなかろうか。
識別標識である三角の色で、政治犯であることはわかったはずですから、反ナチスのビラをもっていて捕まったのは本当だとして、あとは信用ができない。
証言した生存者にはこういう人たちが混じってました。収容所ではこんな人の密告でガス室に送られ、戦後もこんな人の証言で有罪判決になったのです。この人の証言だけで死刑になった人はいないと思いますが。
スパイであれば、誰にどう使われたか裁判で問われてしかるべきですが、それもない(私が見逃している可能性もあり)。どんな情報を提供していたのか聞いてしかるべきですが、それもない(同)。英軍もこの人の証言は怪しいことを察知していて、詳しく聞く意味がないと判断していたようにも見えます。
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