松沢呉一のビバノン・ライフ

「表現の不自由展」に出展された横尾忠則「暗黒舞踏派ガルメラ商会」—「表現の不自由展・その後」のその後(下)-(松沢呉一)

「表現の不自由展」では見えないもの、その騒動では見えないもの—「表現の不自由展・その後」のその後(上)」の続きです。

 

 

報道から消される天皇表現

 

vivanon_sentence大浦信行「遠近を抱えて」を中心にして、「表現の不自由展」は組まれている印象です。「表現の不自由展 実行委員会」の小倉利丸はたしか大浦伸行「遠近を抱えて」の図録焼却問題当時からこの問題に取り組んでいたはずで、この問題をまとめた報告集にも執筆していたと記憶します。この延長に「表現の不自由展」があります。

また、個人差はあれども、この展覧会に反発した人たちの最大要因は天皇表現でしょう。

「産經新聞」はそこを正確にとらえています。さすが「表現の不自由展」批判派の代表メディアです。

 

 

2019年8月10日付「産經新聞

 

少女像にも軽く触れられていますが、記事の重点は天皇表現にあり、昭和天皇の肖像を焼く映像の意図までが解説されています。「いかにひどい展覧会か」という煽りを込めてのことでしょうが、そこに反発したであろう人たち、反発するであろう人たちが多いことを前提にしています。

しかし、それ以外のメディアは少女像に重点があって、それしか取り上げていないメディアも少なくありません。

 

2019/08/04付「CBCニュース」より

 

この報道では昭和天皇をモチーフにした作品については一切触れられておらず、あたかも少女像のみの問題であるかのように扱われています。

なんでこうなったのかわからないですが、天皇表現に触れたくないってことしか考えにくい。萎縮です。その結果、正確さを放棄。「産經新聞」を見習えと言わざるを得ない。

一般の人たちもそうです。天皇表現を無視している人たちが少なくない。「天皇個人に対する名誉毀損は成立するのか」みたいな議論にもなってくるので面倒臭いのは事実でしょう。しかし、たぶんその面倒を避けて触れないのではなく、触れてはいけない気がして触れないのだろうと想像します。その結果、流行りの日韓対立の図式に落とし込まれてしまいました。

ここに「表現の不自由」のもうひとつの側面が見てとれます。「公権力対国民」の対立構造の中で表現の自由が失われているのではなく、メディア自身、国民自身が表現を放棄しているのです。

河村たかし市長の大活躍によって。公権力の表現潰しという問題に議論が集約されてしまうのはやむを得ないですけど、それだけが表現を危機に晒しているのではないことをしっかり押さえておかないと、自省なきまま、市長を批判して終わってしまいそうです。

 

 

横尾忠則「暗黒舞踏派ガルメラ商会」を誰が封じようとしたのか

 

vivanon_sentenceこの展覧会の作品紹介を見ると、「公権力対国民」という対立ではない広がりを見せる作品も含まれていることに気づきます。

以下は「表現の不自由展」作品紹介のページから。

 

 

ここに写真が出ているのはラッピング電車の方で、もう一点の暗黒舞踏派ガルメラ商会のポスターは以下。

 

 

 

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