人の皮膚を使ったランプシェイドは謎だらけ—収容所内の愛と性[19]-(松沢呉一)
「同性愛者の夫の間に三人の子どもを産み、逮捕されてからも妊娠したイルゼ・コッホ—収容所内の愛と性[18]」の続きです。
ナチスの裁判で無罪、米軍の裁判で終身刑から懲役4年、バイエルン州の裁判で終身刑
米軍によるブーヘンヴァルト裁判で、イルゼ・コッホの判決は終身刑でしたが、この翌年、裁判での証言は伝聞に基づくものだったとして懲役4年に減刑されています。収容者の証言はしばしば増幅された伝聞であり、直接目撃したと主張する証言者にも虚偽や錯誤が混じっているのはベルゲン裁判で見た通りです。
終身刑から懲役4年に減刑とはまた極端ですが、懲役4年は妥当なところです。米軍の内部でも、根拠が乏しいまま世論に押されて出した判決を不当だと見る冷静さが働いていたわけです。
この措置に対して米国を筆頭に占領軍に対して囂々たる非難が巻き起こり、占領軍はバイエルン州政府に対して、イルゼ・コッホによるドイツ国民に対する犯罪を裁くよう指示します。すでに4年間拘留されていたため、彼女は1949年10月17日に刑務所から釈放されましたが、すぐさまバイエルン警察によって逮捕されました(釈放時と思われる彼女の写真では、妊婦の腹ではないので、釈放直前に出産したのではなかろうか)。
占領軍による裁判で裁いただけでなく、ドイツはドイツ自身によって戦犯を裁いたことが賞賛されますが、こちらの裁判では再度終身刑が下りました。新生ドイツが戦犯に対して行なった裁判で、女としては唯一の終身刑だったらしい。
裁判の趣旨が違うにしても、引き続き決定的な証拠、証言がないまま、もろちん、ランプシェイドについては証拠もないまま、終身刑が懲役4年になり、そしてまた終身刑。ムチャクチャでしょう。
米軍も無責任で、自分らの良心からか、不当な判決を出せないため、「そっちでうまいことやってよ」とバイエルン州政府に押しつけた形です。バイエルン州政府としても、占領軍の意向は無視できないですから、英米の世論が希望する通りに終身刑です。
ドイツによる裁判と言っても占領軍の意向は無視できないわけで、これではやってもやらなくても同じだったのではないか。むしろ占領軍の意向を忖度してしまった分、不当な判決を導き出したようにも見えます。
新生ドイツがナチスドイツと決別するのであれば法曹界こそ脱ナチズムを遂行しなければならなかったはずなのに、多数のナチス支持者が法曹界に残った事実を踏まえると、イルゼ・コッホのように俗耳に入りやすいところで重罰にしただけだったのではないかと疑ってしまいます。今だってそうですが、まして当時は「残虐な淫乱女」を擁護する人はほとんどいなかったでしょうし。
イルゼ・コッホはこの決定通りに刑務所で残りの人生を送り、他の囚人たちのように恩赦で出獄することもなく、1967年9月2日、刑務所で首を吊って自殺。メディアや世論が彼女を処刑したと言っても間違いではない。
人の革ではなかったランプシェイド
ランプシェイドは家宅捜索の前に夫のカール・コッホが焼却したという説もあるのですが、いずれにせよ、裁判時にはひとつとして現物が見つかっていません。イルマ・グレーゼも三点所有していたという話がありますが、これも見つかってません。逃げることなく留まったイルマ・グレーゼが裁判にかけれられることを前提に、そんな証拠隠滅をしますかね。
しかし、写真やフィルムは残っています。
この写真が世界を駆け巡り、極悪なサディスト、イルゼ・コッホの名も知られます。
各収容所では、ドイツ人の脱ナチズムのために、周辺の住民に収容所を強制見学させていて、ブーヘンヴァルト収容所では戦争が終結していない1945年4月16日に実施されています。その時に展示されたものです。4月11日に解放されているので、その5日後です。十分な調査もなされないまま、展示されたことが容易に推測できます。
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