松沢呉一のビバノン・ライフ

同性愛者の夫の間に三人の子どもを産み、逮捕されてからも妊娠したイルゼ・コッホ—収容所内の愛と性[18]-(松沢呉一)

イルマ・グレーゼと並ぶナチスの女サディスト/イルゼ・コッホ—収容所内の愛と性[17]」の続きです。

 

 

証拠がないまま、終身刑に

 

vivanon_sentence1947年4月から8月にかけて米軍によって行なわれたブーヘンヴァルト裁判でイルゼ・コッホは裁かれます。これはダッハウ裁判の一環として開かれたものであり、31名の被告のうち、女はイルゼ・コッホのみ。30対1は女看守の数からすると少なすぎるかもしれないですが、責任を考えた時には妥当かもしれない。

この数字は、半数近くが女の被告だったベルゼン裁判がいかに偏っていたのかを明らかにします。ベルゼン裁判は前年の9月からですから、慌てて数を揃えるしかなかったのだろうと推測します。

ブーヘンヴァルト裁判では全員が有罪判決を受けています。時間が経っているため、容疑が明白で、その証言が裁判に耐えられるくらいは信用できると判断された者が起訴されたのでしょう。この点でもベルゼン裁判の拙速さがわかります。

それでも収容者が1名被告になり、死刑になっているのですが、疑り深くなっているので、これも裁判記録を読まないと妥当かどうか判断できません。時間が経っている分、証言者の証言は補足され、矛盾点を訂正し、より強固な証言に成長し、なおかつメディアの報道を読んで増幅されている可能性もあります。

この裁判で注目されたポイントのひとつがイルゼ・コッホのランプシェイドでした。イルゼ・コッホはこれについては完全否定。ブーヘンヴァルト収容所には革製品を作る工場もあったのですが、空襲によってすでに消失し、そこから証拠を探すこともできない。

イルゼ・コッホのためにランプシェイドはパーティに持ち込まれたとの説もあるのですが、そうだとしてもイルゼ・コッホがそのために断罪されるのはおかしい。作った人間と持ち込んだ人間が悪い。

ナチスによる裁判の時と同様、これについての証拠は何もなく、証言があるだけですが、ただの噂話でしかないと言っていいでしょう。

Ilse Koch on the witness stand in Dachau courtroom

 

 

イルゼ・コッホの子どもは夫の子どもではなかった可能性が高い

 

vivanon_sentence正確にはわからないですが、ナチスの裁判時も戦後もランプシェイドのブツさえ出てこず(これについては次回詳しく観ます)、本人が完全否定しているのでは処罰しようがなく、イルゼ・コッホは収容者に対する虐待で終身刑になったのだと思われます。しかし、これも終身刑にするほどのものだったかどうか甚だ疑問です。

彼女は一時看守だったことがあるだけで、あとは所長の妻として横暴に振る舞ったとされます。

彼女は御多分に漏れずに性的に積極的で、これにも世論は反発しました。これは以下見て行くように、事実だと思われます。

1906年生まれなので、カール・コッポが所長の時代は30代。夫との間に3人の子どもがいましたが(1人は戦中に死亡)、夫婦関係は冷め切っていたと言われます。というのも、彼女は裁判で夫は同性愛者であったことを告白しました(この裁判記録はネットでは公開されていないようで、私は未確認)。

では、この子どもらは誰の子か。同性愛者でも子どもを残すことはありましょうが、冷め切った関係で三人も子どもができるほどセックスはしないでしょう。彼女はヘルマン・フロアシュテット(Hermann Florstedt)マイダネク強制収容所所長やブーヘンヴァルト収容所の軍医であったヴァルデマール・ホーフェン(Waldemar Hoven)らと関係があったとされますが、彼女は相手かまわずだったようなので。本人も誰の子か知らなかったかもしれない。

 

 

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