人を殺しながらも髪の毛の手入れは怠らないナチスの面々—収容所内の愛と性[26]-(松沢呉一)
「オシャレをして出廷した意味を探る—収容所内の愛と性[25]」の続きです。
女看守にはナチス推奨の髪型をしているのが一人もいなかった
以下は逮捕時。
フリーダ・ヴァルターは前回登場してますが、顔が全然違うので、キャプションが間違っているかもしれない。まっ、ここではそれはどうでもいいとして、それぞれに髪の毛には気配りがあります。
あのベルゲン・ベルゼン強制収容所での共同埋葬時でさえも。
以下はすべて1945年8月8日の撮影ですから、拘留時の看守たちです。一番上のイルゼ・フェールスター(懲役10年)以外は不起訴ですが、誰かはどうでもよく、髪型を見てください。
これらの髪型がいいか悪いかの評価は置くとして、髪型に強いこだわりがあったことはわかります。拘留時はさしてやることもなかったのかもしれないですが。
看守になった動機
ナチス推奨の髪型は三つ編みと三つ編みを上で巻いた髪型です。
ドイツ女子同盟のメンバーはたいてい三つ編み(「全体主義と闘った個人主義者たち—ナチスと婦人運動[7]」「ヒトラー・ユーゲントとドイツ女子同盟は不良の温床に—ナチスと婦人運動[8]」参照)。これは忠実にナチスの考えを実践している女子を集めて写真や記録映画を撮ったためでもあるかもしれないし、そういう場面に出られるように目立ちたがりの女子は三つ編みをしたのかもしれない。
上で巻いた髪型はゲルトルート・ショルツ=クリンクがいつもしていました(「吉岡彌生は公職追放されたけれども—女言葉の一世紀 142」「吉岡彌生の同志的存在ゲルトルート・ショルツ=クリンクの登場—ナチスと婦人運動[5]」「母性保護の行きついた先が戦争礼讃・ナチス礼讃—女言葉の一世紀 147」参照)。中学生くらいだと早すぎる感じもあって、どちらかと言えばこちらの方が年齢が高めかもしれないけど、中年に向くとも思えない。それでも、ナチスの女性代表であったゲルトルート・ショルツ=クリンクとしてはナチス推奨の髪型をしないわけにはいかなかったのでしょう。
しかし、看守に限らず、親衛隊の補助員たちはこんな髪型をしてません (「レーベンスボルンの戦後とドイツ人の戦後—ナチスと婦人運動[11]」参照)。
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