法廷のタオルと白バラの髪型—収容所内の愛と性[28]-(松沢呉一)
「ユダヤ人女性収容者でも髪の毛を伸ばしていた—収容所内の愛と性[27]」の続きです。
裁判所にタオルを巻いてきた意味
以下は、ベルゼン・ベルゲン収容所解放後の共同埋葬に向かうところだろうと思われます。
この写真はよく使用されていますが、時々名前が間違えてます。正しくは一番右がヘルタ・ボーテ、その奥の鼻から上が見えているのがエリザベート・フォルケンラートです。彼女は髪型ですぐにわかります。その左前がイレーネ・ハシュケ。あとは省略。
この時のヘルタ・ボーテの頭はボサボサですが、以下の写真ではセットされているように見えます。
左から二番目の背の高いのがヘルタ・ボーテです。おそらくこちらは逮捕直後。数日でボサボサに。
たいていの人は水でもつけて櫛を入れれば格好がつくアジア人と違って、頭がこうなってしまう人たちがあっちには多いのだと思います。
ベルゼン裁判で、タオルを頭に巻いてきた出廷したシャールロッテ・クラインとフリーダ・ヴァルターは、髪の毛がボサボサになった状態で人前に出ることを恥ずかしく思っていたのではなかろうか。そこはハレの場であり、正装をして臨むところです(かどうかまでは確証はないですが)。
強制収容所にもその施設があった可能性が高いですが、彼女らは刑務所に拘置されていたので、内部に美容・理容施設はあったはずです。しかし、施設を利用できる頻度には制限があって、それと裁判の日程がずれていたとか、そんなところかもしれない。
死刑になるかもしれない状況で、そんなことを気にしている場合かとも思うのですが、生きるか死ぬかが決する裁判で、自身が不利になるかもしれないのに毛皮を着ていた人たちを見ると、それもあり得るように思えてきます。
以下の右端がシャールロッテ・クライン。
Charlotte Klein after being arrested, probably at the prison in Celle.
彼女はこういう髪型。おかしな髪型が多い中、今でも通じそうな髪型です。この状態を刑務所では維持できなかったのが許せなかったのだと思えば納得できなくもない。
今も生きているヘルタ・ボーテ
そこそこ重要人物なのに、ここまで詳しく触れていなかったので、ヘルタ・ボーテについて説明しておきます。
ヘルタ・ボーテ(Herta Bothe)は1921年生まれ。1052年、ラーフェンスブリュック強制収容所で看守の研修を受けたあと、ポーランドのシュトゥットホーフ強制収容所(KZ Stutthof)で正式に看守となります。1944年、シュトゥットホーフ強制収容所の衛星収容所であり、女子を収容する東ブロンベルク労働収容所(Außenarbeitslager nach Bromberg )異動となり、翌年1月、ベルゲン・ベルゼンへの死の行進に同行。ベルゲン・ベルゼン解放とともに逮捕され、ベルゼン裁判で懲役10年の判決を受けてます。
他の人たちと同じく判決の半分である5年で釈放され、彼女は現在も生きています。
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