松沢呉一のビバノン・ライフ

男のマゾと女のマゾの違い/男のマゾはチャレンジ精神が旺盛—『マゾヒストたち』(5)-(松沢呉一)

マゾヒズムがなかったら人類は滅びていた—『マゾヒストたち』(4)」の続きです。

※このシリーズは全体の流れや構成を考えて始めたわけではないので、話があちこちに飛びます。ご了承ください。

 

 

チャレンジャー型のマゾ

 

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「マゾヒズムは人類が生存するのに不可欠な能力である」という考え方は、『マゾヒズムたち』の最後に登場するゴン太さんのインタビューでも語られています。直接そう言っているのではないですが、「ああ、マゾってそういうことか」と理解しやすい。

彼は困難を超えていく快感だと言っています。だから、通常のセックスは面白くない。通常のセックスでも、数をこなす、やってはいけない相手とするといった方法で困難を超える快感を設定していくこともできるでしょうが、彼はマゾという方向で活路を見出しました。

これについても「間違いたい欲望・・・人間は、どうしても逸脱してしまう存在である 」に書いたように、人間は飽き性であることで進歩しました。同じことをやっていると飽きるようになっているのです。ゴン太さんがまさにそうです。

ゴン太さんは若い頃から尻にいろんなものを入れているうちに、今はもうないハッテン場だった新宿駅西口の映画館でチンコを入れられ、そこで知り合った男とつきあってました。男が好きなのでなく、チンコを入れられるのが好きなのです。

尻に入れられるのが好きな人の中には性別を超越する人が時々います。気持ちよければ男でもいい。しかし、あくまで欲情の対象は女であり、ペニバンより生がいいので、サオつきニューハーフに落ち着くのが定番です。

ゴン太さんも女の方が好きではあるのですが、もしあの時につきあっていた相手がアナルセックスが好きだったら、そのままゲイになっていたかもしれないと言います。自分の快楽優先。

でも、その相手は入れるのがそんなに好きではなかったため、女王様に走ります。

キリンレモンの瓶を尻に入れてとれなくなって救急車で運ばれる騒動などを経て、腕まで入るようになり、そうなると、あとは尾骶骨を外すしかなく、尻の開発はここで諦めて、続いてチンコを縦割りにするチャレンジに入ります。続きは『マゾヒストたち』で。

Frammento dal Messale di Clemente VII (1523-1534), British Library

 

 

おバカとマゾヒズム

 

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クニオさんも似たところがあって、面白そうなことはなんでやってみる。

私もその写真はケロッピー前田の本で見ましたが、どっかの国の身体改造マニアが、尿道の下に穴をあけてパイプを通し、そこからガスを出して火をつけ、チンコ火炎放射器にするオモシロ技があって、それを見たクニオさんは自分でもやってみたら、チンコの先が熱かったそうです。

 

 

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