松沢呉一のビバノン・ライフ

全裸より着衣で興奮が生じる現象—『マゾヒストたち』(9)-(松沢呉一)

性風俗店で写真指名をしない方がいい理由+鏡とエロの関係—『マゾヒストたち』(8)」の続きです。

このシリーズは全体の流れや構成を考えて始めたわけではないので、話があちこちに飛びます。ご了承ください。

 

 

 

「勃起するかも」と不安になる理由

 

vivanon_sentenceゲイの知人に全裸自転車の動画を見せて、こう聞きました。

「こういうのが日本でもできたら面白いと思わない?」

「面白いけど、勃起したらどうしよう」

「全裸合コン」の時にもいた勃起心配症です。

彼は時々銭湯に行ってます。

「銭湯に行ってチンコ見たからって勃起する?」

「しない」

「それと同じだよ。全裸自転車の解散場所の公園で、かわいい子と目が合って、二人で木陰に行って触り合ったり、チューしたりして初めて勃起でしょ」

自転車の場合、ペダルをこぐと脚にチンコがこすれて物理的な刺激で勃起することがありますけど(若いうちだけ。しなびるとそんなこともなくなります)、全裸だと押さえつけられないので、これも起きにくいかと思います。

全裸島や全裸海岸でも稀には勃起する人もいるでしょうけど、たいていの人はそうはならない。そうはならないことが想像できる人と、想像できない人がいます。

ハッテン銭湯に最初からその気で行く人はファンタジーが高まっているので勃起しやすいでしょうけど、ゲイだって通常は銭湯やサウナで勃起しない。銭湯という文脈があるため、「銭湯に行って勃起したらどうしよう」とは思わない。自身、そうはならないことを体験しているから、「勃起したらどうしよう」と心配はしない。

露天風呂でいい男と二人っきりになって、話しているうちに意気投合して触りあえば勃起するでしょうが、「いい男だな」と思うだけでは勃起しない。そこに物理的な刺激や想像が加わると勃起する。

銭湯に行ったことのないゲイだとエロい想像をしてしまって「勃起したらどうしよう」と心配なり、そんなことばっかり考えているから、実際に勃起したりしそうです。

銭湯という学習機会がなくなっているので、その人たちにとっては「全裸=猥褻」であり続けているます。混浴がなくなっているので、ヘテロにとっては混浴は猥褻な存在になっています(この話は「そろそろ刑法174条(公然わいせつ)と175条(わいせつ物頒布)を見直しませんか?」シリーズで改めてやります)。

そこでエロいことをすることが前提になっていたり、裸からエロいことを想像したりすることで欲情するのであって、人間の欲情は想像によってかきたてられます。

※ルヴァン島の動画「BIEN-ÊTRE ET BIEN-VIVRE : L’Île du Levant se met à nu !」より

 

 

服があるから欲情する

 

vivanon_sentence

今の日本で全裸の美人が路上にいたところで、すぐに勃起する人はほとんどいないでしょう。驚いて、それどころではない。

勃起するとしたら、あとで思い出した時です。「思い出し勃起」です。あるいはそれを写真や映像で見ると勃起することもあるかもしれない。つまり、生身の裸に勃起するのでなくて、頭の中で再現された裸、再構成された物語、メディアを通した裸に勃起するのです。

全裸合コンの顛末—日本でナチュリズムを実践する試み」に書いた全裸ラジオ放送のように、また、エロ街道を行く』に書いた「お風呂プロジェクト」のように、全裸でいる時はなんともないのに、服を着た途端に欲情が始まります。

「お風呂プロジェクト」では、風呂から出て服を着てから「セックスしようよ」と言ってビンタされました。裸でいる時は紳士なのに、服を着ると野獣。しかし、ちゃんと同意を求めているので、私は何も間違っておらず、それに暴力で応じた彼女が間違ってます。

「さっきまで全裸だった」という想像が欲情を喚起するのです。その転換があまりに鮮やかで、「ああ、こういう仕組みか」と欲情のメカニズムを身をもって経験しました。

全裸合コンが実現していたらこれが確かめられたんじゃなかろうか。

年齢にも状況にも人にもよりけりですが、前に書いたように、私は裸だけではまず勃起しない。そんなんで勃起したのは十代まで。ストリップ劇場でも勃起しない。それを契機に想像をして初めて勃起する。裸は導入でしかない。もしくは物理的に刺激が加わって勃起する。

 

 

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