松沢呉一のビバノン・ライフ

SMを肯定できない人からのメール—SMの虚構性とその本質[上]-[ビバノン循環湯 544] (松沢呉一)

これは2000年頃にポット出版でやっていたネットのコーナーに出したもの。当時はスクロールが今ほどスムーズではなかったため、一回の文字数は千字程度が上限と言われていました。そのため、今よりもっと小刻みにしていて、一週間ほど続けたシリーズです。

ちょうど「現実とファンタジーの区別ができない人たちの弊害—『マゾヒストたち』(10)」と内容がかぶっているので、いかに私の書いていることは進歩がないのかわかっていただくために循環しておきます。

SMクラブで行なわれているプレイ、SM雑誌に掲載されているSMは虚構です。実際にやっていることですが、監禁、折檻、暴力といった行為はすべて虚構の上でなされています。そのことがいつになってもわからない人たちがいるので、同じことを繰り返すしかない。

モダンフリークスの福田君が大学卒業後、ミリオン出版に入り、「S&Mスナイパー」に配属されたことを、実家に帰った時に父親に伝えたところ、「それは犯罪だろ」と言われたそうです。

今の時代は、犯罪と虚構の区別ができない「病理」が強まっているのではなかろうか。物事を一面的にしか見られない人たち、踏み込んで考えることができない人たち、自分の不快なものを見えなくすることで解決しようとする人たちの増大です。ここに歴史的教養の欠落が加わると、「親なるもの 断崖」を史実だと思う人たちになります。虚構と現実の区別ができるようにして、フィクションを楽しむリテラシーを身につけましょう(これらの特性はインターネットによって強化されていると思われます。「メディアをめぐる不可解な現実」を参照のこと)。

 

 

SMに対する疑問に答える

 

vivanon_sentence知人から、「SMをどうとらえていいのかわからない」という相談メールをいただきました。彼は自分ではSMを実践したことがなく、したいとも思いません。それは好きにすればいいとして、他者がやることに対しても肯定しえないでいます。かといって否定をすることもできず、困惑しているといったところです。

彼には「男性がS・女性がMの場合は男女の不平等を固定するものではないか」との思いがあり、女性がS・男性がMであっても、「絶対的な支配・被支配の関係だった奴隷制度の再現なのではないか」との疑問が生じるのだそうです。

性についての造詣も実践もある彼が、このようなところで、SMというものへの躊躇を感じていたとは、意外な思いがありました。まして、性について真剣に考えたことのない人たちは、「SM=暴力」と思ってしまうのは致し方ないのかもしれません。

出がけにこのメールを読んで、手短かに、以下の返事を出しました。

 

SMと奴隷制との関係をどうとらえればよいのか、ですけど、暴力と格闘技をどうとらえればいいのか、と一緒です。暴力はいけません。しかし、人間の中にどうしても生じてしまう暴力衝動、狩猟本能をルールのもとで発現させるのが格闘技や多くのスポーツであるように、SMは支配・服従の関係をルールのもとで楽しむということです。否定されるべき暴力と、スポーツやSMの決定的な差は、本人の意思があるかどうか、つまり望んでそれをやっているのかどうかだと思います。

 

これだけで、彼はかなりまで理解できた様子です。いつものことながら、私の言うことはわかりやすいですけど、この程度のことは自身で考えて欲しかった。

 

 

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