松沢呉一のビバノン・ライフ

日本のわいせつ裁判—そろそろ刑法174条(公然わいせつ)と175条(わいせつ物頒布)を見直しませんか?[12]-(松沢呉一)

猥褻でも芸術でも見せたい人が見せ、見たい人が見られるように—そろそろ刑法174条(公然わいせつ)と175条(わいせつ物頒布)を見直しませんか?[11]」の続きです。

 

 

 

明日は馬橋盆踊り、そしてパンディットへ

 

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明日10月19日は高円寺の馬橋盆踊りです。

 

 

馬橋は地名としてはすでに消えていて、学校名や公園名、通りの名などに残るだけです。高円寺駅の西側、阿佐ヶ谷駅との間です。馬橋という地名の由来を誰かに聞いたことがありますが、忘れました。

「10月下旬になって盆踊り?」ってカンジですけど、去年なんて12月にやったらしいですよ。冬にかき氷を食いたいこともある、夏に鍋焼きうどんを食べたいこともある、朝から酒を飲みたいこともある、昼に寝たいこともある、札幌に行って豚骨ラーメンを食べたいこともある、秋に盆踊りをしたいこともあるってことです。

このゆるさ、このいい加減さが高円寺です。たいてい盆踊りは午後6時から9時くらいですが、馬橋盆踊りは午後4時から7時まで。浴衣で夜は寒い季節ですから。

寒くなる前に切り上げて、高円寺のパンディットに行けば、6時半開演の「わいせつ表現規制を考える① そろそろ刑法174条(公然わいせつ)と175条(わいせつ物頒布)を見直しませんか?」に間に合います。馬橋小学校から徒歩3、4分です。

 

 

日本のわいせつ裁判

 

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パンディットでやっているようなトーク・イベントでは、私はだいたいいつも事前に進行表を作ったり、話す内容を書き出したりします。とくに準備しなくても適当に言葉が出てくるので、困ることはまずないのですが、そうしておかないとなんか不安で。やったらやったで頭が整理されるので、中身も濃くなるはずです。

今回もその作業をやっていて気づいたことがあるので、明日を前にひさびさに「そろそろ刑法174条(公然わいせつ)と175条(わいせつ物頒布)を見直しませんか?」シリーズを出しておくことにしました。

以下は戦後日本の主だった「わいせつ表現」に関する裁判の一覧です。トークの際の手がかりになるネタとしてざっと拾ってみたものです。最初から完璧なものを作る気はなく、手元に置くだけのつもりだったのですが、このリストを見ていると気づくことが多々あって、明日の予習用、明日来られない方々のための参考資料として公開しておきます。間違いなどがあることに気づいたらご一報ください。裁判になっていないものは除外し、裁判になったものでも表現とは関わりのないわいせつ罪は除いてます。冒頭の年数は特記ない限り、事件化(家宅捜査、逮捕、起訴)した年です。裁判名はこちらでつけたものが含まれます。

 

サンデー娯楽裁判 1948年(これは最高裁判決の年) 大阪で発行されていた「サンデー娯楽」(おそらくカストリ新聞)が複数の記事によって摘発され、一審二審とも有罪、最高裁は上告棄却。この際に「わいせつの三要件」が提示された。

チャタレイ裁判 1950年 D・H・ロレンスの小説『チャタレイ夫人の恋人』が摘発され、一審では翻訳者である伊藤整は無罪、版元の小山書店は有罪、二審では両者とも有罪、最高裁で確定。

サド裁判 1960年 マルキ・ド・サドの小説『悪徳の栄え』が摘発され、一審では翻訳者である澁澤龍彦、版元の現代思潮社とも無罪、二審では両者とも有罪、最高裁で確定。

清水正二郎裁判 1960年 のちの胡桃沢耕史である清水正二郎による「世界秘密文学選書」(浪速書房)のうちの64点が摘発され、一審で懲役6ヶ月、執行猶予2年の判決を受け、二審もこれを支持、最高裁では懲役一年、執行猶予三年の判決が出た。

国貞裁判 1960年 有光書房から発行されていた林美一著「艶本研究」シリーズの一冊『国貞』の付録が摘発され、最高裁で発行人の坂本篤、著者の林美一とも有罪確定。

黒い雪裁判 1965年 映画「黒い雪」が摘発され、監督の武智鉄二、日活の配給部長は、一審・二審とも無罪。映倫を通っていたことから、責任なしとされた。

三崎書房裁判 1969年 光明寺三郎現代語訳『壇の浦夜合戦記』、片桐童二訳『フロッシー』など計4冊が摘発され、一審で『壇の浦夜合戦記』は無罪、二審ですべて有罪、最高裁で確定。

若い樹液裁判 1970年 野川浩の著作『若い樹液』『弧愁の影』『未完成恋愛論』が摘発され、『弧愁の影』を除く二冊が一審有罪、二審も支持、最高裁で確定。

ふたりのラブ・ジュース裁判 1971年 「フォーク・リポート」に掲載された中川五郎の小説「ふたりのラブ・ジュース」が摘発され、一審で中川五郎、発行人とも無罪、二審で逆転有罪、最高裁で確定。

一条さゆり裁判 1972年 ストリッパー一条さゆりの引退興行で逮捕され、執行猶予中だったため、懲役一ヶ月の判決を受け、猶予分と合わせて十ヶ月の懲役。

四畳半襖の下張裁判 1972年 雑誌「面白半分」が、永井荷風原作とされる「四畳半襖の下張り」を掲載して摘発され、一審で編集長であった野坂昭如(半年替わりの責任編集方式)と発行人は有罪、二審も有罪、最高裁が上告を棄却して確定。

四畳半襖の下張り・摸索舎裁判 1972年 「四畳半襖の下張り」を掲載した「面白半分」のコピー版が納品され、無審査で扱う方針の摸索舎はこれを販売し、経営者と店員が起訴された。納品者はガサ入れだけで済んでいて、販売者だけが起訴されたことは異例であり、左翼系の出版物を多く取り扱う模索舎潰しではないかと言われた。一審・二審とも有罪、最高裁は上告棄却。

日活ポルノビデオ裁判 1974年 日活がモーテル向けに販売していたビデオテープが摘発され、一審で日活のビデオ部長は無罪、二審で逆転有罪、最高裁で確定。

日活ポルノ裁判 1974年 日活ロマンポルノ「愛のぬくもり」「恋の狩人」「女高生芸者」「牝猫の匂い」の4作品が摘発され、日活社長と映倫審査員数名が起訴され、一審で全員無罪、二審で無罪確定。

愛のコリーダ裁判 1977年 大島渚監督の映画「愛のコリーダ」の脚本とスチール写真を掲載した同名の単行本が摘発され、大島渚も発行人の竹村一・三一書房社長も一審無罪、二審もそれを支持して無罪が確定。

ビニール本裁判 1983年 一審二審とも有罪、最高裁は上告棄却。

東郷健関税法違反裁判 1992年(これは最高裁判決の年) 個人で楽しむための輸入ポルノが関税法で定めた輸入禁制品に該当するとして押収され、罰金刑となったことを東郷健は不服として裁判となり、一審で有罪、二審で逆転無罪、しかし、最高裁で有罪。

メイプルソープ裁判 1999年 国内で発行されたロバート・メイプルソープの写真集『MAPPLETHORPE』を発行人である浅井隆アップリンク社長が米国に行く際に持参し、帰国時に税関で輸入禁制品とされて没収された。処分取消と国家賠償を求めて提訴。一審は原告の主張が認められ、二審で逆転、最高裁で高裁判決を破棄して原告の主張を認めた。

松文館裁判 2002年 『密室』が摘発され、著者のビューティ・ヘアと松文館編集局長は略式で罰金を払い、一審で同社社長は懲役1年、執行猶予三年、二審で罰金刑に減刑され、最高裁で確定。

AVメーカー・ビデ倫裁判 2007年 モザイクが薄かったとして、ビデオ制作会社社長らがわいせつ図画頒布、また、日本ビデオ倫理協会(ビデ倫)の審査部統括部長らが幇助の容疑で逮捕され、一審、二審、最高裁とも有罪。これがきっかけでビデ倫は実質機能停止に。

ろくでなし子裁判 2013年 クラウドファンディングのリターンとして提供された3Dデータで逮捕され、翌年、アダルトショップでデコまんを展示した件で再逮捕され、この時は北原みのりも逮捕された。北原みのりは罪状を認めて略式で罰金を払い、ろくでなし子は裁判に。一審ではデコまんは無罪、3Dデータは有罪。二審はこれを支持し、デコまんの無罪確定、3Dデータは最高裁へ。

 

 

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