松沢呉一のビバノン・ライフ

性教育にポルノ導入を検討するデンマークと未だ性器を出せない日本—そろそろ刑法174条(公然わいせつ)と175条(わいせつ物頒布)を見直しませんか?[18]-(松沢呉一)

ポルノ解禁とポルノ産業の関係—そろそろ刑法174条(公然わいせつ)と175条(わいせつ物頒布)を見直しませんか?[17]」の続きです。

 

 

私の始まり

 

vivanon_sentence高校の時、私は部員ではなかったのですが、美術部と仲良くしていて、教育委員会が入っている教育会館での展覧会に私も作品を出すことになりました。裸婦の油絵を出す予定だったのですが、展覧会の直前に四畳半襖の下張の高裁判決が出たことを受けて、股間に黒い紙を貼付けて出展したところ、教育委員会からクレームがつき、校長室に呼ばれました。

美術部の顧問は私の意図を理解した上で擁護してくれたのですが、校長は妥協案として、「もう一度自分の目で見て判断して、よくないと思ったら自分ではがせ」と提案、放課後、教育会館に行きました。すでに黒い紙は外されていて、陰毛がバッチリ露出してました。

今だったら、すぐに新聞社に電話して、ここぞとばかりに騒ぐところですが、「そうか、教育委員会も裁判所の判決には反対で、そこにあるものを隠してはいけないと思っているんだな」と納得しました。

校長だか美術の顧問だったかの話では、「教育委員会は黒い紙が猥褻だと言っている」との説明もあったはず。隠すのは猥褻。野坂昭如や私の考えと同じです。

この時、「よし、いつか刑法175条をなくしてやる」と誓いました。というのは記憶を改竄しすぎですが、あの時点で刑法175条はおかしいと感じていて、だからこその黒い紙です。

16歳か17歳の糞ガキでもわかることなのに、それ以降も一向に廃止されそうにないのはなぜか。

デンマークから始まったポルノ解禁からの半世紀を振り返った時に、「なぜ日本では、ポルノは解禁されなかったのか」「なぜ今に至るまで刑法174条、175条に疑問を抱く人が少ないのか」の答えが見えてきます。

※左は野坂昭如著『四畳半襖の下張裁判』(1976)、右は四畳半襖の下張摸索舎裁判の資料集(1975)

 

 

デンマークは今も尖端を行く

 

vivanon_sentenceポルノ解禁を担ったのは、ポルノ産業とそのユーザーたちよりも、表現の自由を尊重し、人々を縛り付ける道徳からの解放を目指す人々でした。

また、このすぐあとで、性教育を義務教育に取り入れることが決定されて、1972年から実施されます。このふたつはリンクしているのです。

数年前に、デンマークで性教育にポルノを導入すべしという提唱がなされたことがそのことをよく見せてくれています。学校教育に取り入れるという話ですから、一年二年では実施できず、今に至るまで実現していないようなのですが、この時点ですでにポルノをどうとらえるべきなのかの議論が授業でなされています。その上で、実際のポルノを見せることが提案されたわけです。

2015年3月3日付「THE LOCAL」 によると、デンマークでは男の4分の3、女の3分の1がインターネットでポルノを楽しんでいています。また、北欧では、10代男子の最大99%と10代女子の86%がポルノを見たことがあるとの調査もあって、であるなら、早い段階でポルノと現実の違いを教えた方がいい。

そんなことをしなくても、大多数の生徒はポルノと現実は違うことを理解できるわけですが、一部、区別ができないのがいるために、区別できるように教える必要があって、「禁止したってどうせ観る」という現実を踏まえて、ポルノに対するリテラシーをつけさせるという提案です。

 

 

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