松沢呉一のビバノン・ライフ

「主婦」と「主人」は対の言葉—主婦の歴史・婦人の歴史[上]-(松沢呉一)

松崎天民著『運命の影に』で描かれる女学生—女言葉の一世紀 44」の続きですが、出すのをすっかり忘れてました。ゆるくつながってはいるのですが、「女言葉の一世紀」から外しました。このシリーズで出すと読まれなくなってしまうので、今後出すことがあっても、バラバラに出していきます。

フェミニストという商売は楽しいらしい—上野千鶴子と女言葉[上]」にリンクをつける作業をしている時に、「主婦」という言葉を説明した回を出しそびれていたことを発見。この機会に出しておきます。

 

 

主婦という言葉に込められたもの

 

vivanon_sentence前掲の松崎天民著『運命の影に』(大正六年)に「悪血の家に」と題された文章が出ています。

縁談が持ち込まれても、娘を溺愛する父親が納得せず、女学校を卒業し、二十三歳になる千代子はなお独身。父親が世話になった人物からの縁談を断れず、やっと千代子は嫁ぐことに。

しかし、その一家は地主の資産家にもかかわらず、どことなく暗く、夫の山村健之助は人格は申し分ないながら、家に寄り付かず、先祖代々の土地を切り売りしながら芸者遊びをする日々。ここには千代子の知らない一族の秘密があって、そのことを知った健之助は、一族を滅ぼすために放蕩三昧を続けていたのです。

そうとは入らない千代子は遂には離縁することを決意して、こう述懐します。

 

思へば結婚後の四年間と云ふものは、何事も自分が中心になって、主婦として振れ舞って来たものの、若し自分と云ふ者を無いものにして、山村家を眺めたならば、随分淋しい陰気な家庭の空気であった。良人健之助の愛情を唯一の頼みにして、自分はただ主婦としての任務を果たして来たけれど、そこにも何か知ら人妻としての物足りなさがあった。

 

「振れ舞う」は「振る舞う」の誤植かとも思いますが、「主婦として頑張ってきた」という言葉が何か今現在の「主婦」という言葉とはズレる感触があります。

今現在の主婦は「専業主婦」という言葉につながっていて、家事や育児を担当するような印象です。わざわざ「主婦として振る舞う」「主婦としての任務」という言葉の重さとは少しズレます。

現実に千代子が主婦としてやっていたのはこういうことです。

 

いろんな用向を帯びて、健之助がS市へ旅した留守中は、内外の事一切を一人で切廻して、母の手数まで減らして居た。老病の父の看病、弟妹達の学校通ひの世話、下男下女の指揮は勿論、新聞雑誌の切抜、書面の往復、小作人との応対、来客の接待など、若い千代子には有余る程の仕事が、殆ど毎日の日課の様になって居た。その上に千代子は、毎晩S市に居る良人に宛てて手紙を書いて送る事と、父の足腰を揉む事とを、忘れずに務めて居た。

 

子どもはいないため、育児はしておらず、その手伝いはするにしても、料理は母親が担当。雑事はすべて下男下女がやるため、今現在の主婦業に相当することは病に伏せている父親の世話や弟妹の世話くらい。本来は夫の健之助が家にいてやらなければならないことを千代子がすべてやっていたのです。

なお、この段階ではまだはっきりと千代子はわかっていなかったのですが、S市というのは馴染みの芸者がいる町で、健之助は、その別宅に通い詰めていました。

 

 

権力を持つのが主婦

 

vivanon_sentence今の主婦とのズレがどこにあるのかと言えば、仕事の内容であり、その責任です。

この山村家は土地持ちで、小作人を多数使用しているため、仕事が多かったわけですが、夫がいても、たとえば小作人からの金の徴集、下男下女の指揮は妻がやる。今で言えば土地財産を管理する会社を夫婦が分担して経営し、社員を仕切るのは妻です。夫がいなければ、夫がやる分もすべて妻がやる。

これが主婦。つまり、「主婦」は「主人」の女版であり、「働く女」を意味しています。外に働きに出るのではなく、家業ってことですが。

以下はよぼ六著『女罵倒録』(大正九年)掲載「主婦の権力」より。

 

我こそは一家の主婦よと権力を振り舞はして、亭主などは眼中に置かぬ女が出来て来たのも時節柄已むを得ぬ事であるかも知れぬ。

 

権力を持つのが主婦なのです。

 

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