松沢呉一のビバノン・ライフ

どうしても男女の構造を船に喩えるなら、今の時代は客船—田嶋陽子著『愛という名の支配』を褒めたり貶したり貶したり[5]-(松沢呉一)

アファーマティブ・アクションの評価—田嶋陽子著『愛という名の支配』を褒めたり貶したり貶したり[4]」の続きです。

 

 

 

クオータ制は社会に不平等と不利益をもたらす

 

vivanon_sentence前回見たように、同じくアファーマティブ・アクションとされる施策でも、授業料の免除や奨学金の給付と、少数属性の優先枠を用意することは別の質をもっています。

貧困家庭の子どもに経済的援助をすることまではスタートラインを同じにする方策です。かつて大学に女子が進学できなかったことを改善すべく女子の入学を認める大学が出てきたり、女子大が出てきたことはスタートラインを等しくすることでしたが、現在では女子大の存在は女子の進学を有利にする存在になってしまっています。「進学する」という点で有利なだけで、その内容は問わないとして。

つまり、そのレベルのことは解消済みであり、解消済みであるにもかかわらず残ってしまっている女子大は不平等を作り出しています(何度も書いているように、これは大学の自治、自立の考え方から法や行政は踏み込みにくく、容認される差別だろうと私は思ってますが、特定の性別のみ入学させることが差別であるのは否定できない)。

この上、女が政治家になることを有利にするクオータ制は、経済的援助とはまったくレベルが違い、貧しい家庭の子どもの成績が悪くても優先的に入学させる制度に等しい。貧困家庭の場合、理由づけはできますよ。貧しいから塾にも行けず、家庭教師もつけられず、参考書も買えなかったのだから、条件を等しくするために、得点を上乗せするのだと。

Sub-Saharan slaves in the Muslim world 田嶋陽子がイメージする「女」はこんな感じでしょうか。

 

 

東大に入るには富裕層が有利な現実

 

vivanon_sentence現実に東大入学者の親の年収はあからさまに多い。「富裕層の子どもは偏差値が高く、金のかからない国立大に進学する」という傾向がはっきり出ています。

 

2018年9月5日付「NEWSWEEK」掲載「東大生の親の6割以上は年収950万円以上」より

 

ここには差別と言っていい環境差があることは間違いがない。数字的には男女という属性よりも偏在が激しい。貧困家庭に育った男子よりも、富裕家庭に育った女子の方が教育環境は有利です。そりゃ、東大に毎年多数の入学者を出している中高一貫の私立女子校に入るのだって、富裕層の率が高いでしょう。

これを改善するために、親の年収に従って定員を決めて、全国平均と等しくすることが正しいのか否か。これをやると、成績がいいにもかかわらず、富裕層であるがために、入学できない生徒が多数出ます。

これ以外にも「親の学歴」「親の職業」「親族一般」「友人」「小中高学校」「育った場所」などによって進学は決定されるわけですが、それらの環境を完全に平等にすることは不可能です。

政治家を目指す意思がどう形成されるのかについても同じです。親が政治家である家庭、官僚である家庭の子どもが政治家を目指すことがおそらく多い。当人が偏差値が高い大学で政治経済法学を専攻した率が高いことも見た通り。この専攻において予め男女差が生じてしまっていて、政治家にならんとする意思と素養が男女差で偏在していることが政治家の男女率を決定しています。

ここで結果としての性別の偏差だけをとらえて、女という性についてのみ有利にする施策は「意思」「能力」を不当に評価することになるのは明らかです。

 

 

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