松沢呉一のビバノン・ライフ

女言葉を自ら選び取ることを批判できるか—上野千鶴子と女言葉[下]-(松沢呉一)

フェミニストという商売は楽しいらしい—上野千鶴子と女言葉[上]」の続きです。

 

 

 

女言葉は良妻賢母の言葉

 

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女言葉については「女言葉の一世紀」シリーズで説明してきましたが、ムチャクチャ人気のないシリーズで、最後まで行きつけずに挫折したので、読んでいる人は少ないでしょう。

ざっと復習をしておきます。

それまで庶民の間では、男と女の言葉の差はあまりありませんでした。農民であれば男と女は等しく田畑で働く。漁民では女は海女をやったり、海藻や貝を拾ったり、干物を作ったり、網の修繕をします。商家では、女は主婦として店を切り盛りする(もともとの「主婦」という言葉の意味についてはこちらを参照)。

この女たちは男と同じく一人称に「おれ」や「おら」を使っていました。地域や階層によっては昭和に入ってもなおそうでした。小説にも記述がありますし、落語にも残ってます。お年寄りに聞くといまなおこういった言葉を拾えます。自分自身は使わなくても、「祖母が“おれ”と言っていた」等。

一方で山の手では男女の分業が進むとともに、女は女の言葉を好んで使うようになります。それまでにも女言葉はあったわけですが、多くの場合、労働しないことのアピールであり、その層は明治以降拡大し、山の手では家事労働もしないことがステイタスですから、自身が日用品を買物することも隠しました。それは女中がやるか、ご用聞きに頼むことです。子育ても乳母がやります。

働かないことの象徴という意味では裾引きの着物と同じ意味であり、結婚式での長いウェディングドレスも同じです。

その層が通う女学校で女言葉が徹底されていきますが、女学校が急増して生徒の質も変質し、卒業後は大多数が家事労働や育児をする役割を担うことにになるとともに、女言葉は嫁入りのための良妻賢母の言葉になっていきます。。

それをアレンジした女学生言葉の発達もあり、また、わざと「ぼく」「きみ」を使うことで、女生徒たちは女言葉とは違う言葉の文化を作り出していくのですが、昭和16年に文部省が制定した「昭和国民礼法」によって女の「ぼく」「きみ」は禁じられます。罰則はないにせよ、身分を問わない国民の手本を示したものですから、貧しい者も、年寄も、地方に住む者も等しく言葉を奪われました。方言も使えない(国民礼法以前から、学校での方言の使用は禁じられたはず)。女学校の作法が全女性に強いられたわけです。

これが戦後も残りますが、1970年代くらいから若い世代は女言葉を使わなくなり、1990年代には死語扱いになります。それでも、いまなお翻訳ではこれが残り、また、女学校の伝統そのままに女らしい言葉遣いを教える女子校が残っています。

しかし、学校の外に出るや否や「おまえ」と言ってケラケラ笑っていることもお伝えした通り。「女らしい言葉遣い」から自由になることが自立の第一歩。

※ヤフオクより「昭和絵葉書 白浜の海女

 

 

女言葉の使用が批判されるケース

 

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「仲良くしようぜ」の「ぜ」は男言葉であり、女を排除しているという馬鹿げた批判をしてきた人たちがいたように、時々こういう人たちが出てきます。「男言葉を使うのは、男女の格差を固定するものだ」みたいな愚論。国家が求めた「女らしさ」をなぞってどうするよ。だから、歴史はしっかり学んだ方がいいのです。

以上の歴史を踏まえれば、庶民レベルでは現在「男言葉」とされる言葉の多くは女も使えていました。「〜ぜ」もそのひとつです。それが使えなくされた、もしくは女たち自身が好んで使わなくなっただけなのですから、使えばいいのです。男の選択肢を減らすのではなく、女の選択肢を拡大することで格差をなくすべきでしょう。選択肢は多い方がいいのですから。

「なぜ男は多数の一人称の言葉を持っているのに、女は“私”だけなのか」との疑問が時々出ますが、その答えは「奪われたから」です。奪い返せばいい。

現に、女のアイドルたちが「ぼく」「おれ」という一人称を使って、「〜ぜ」という語尾も使って、女言葉を颯爽と乗り越えて言葉を奪還し、それが着々と拡大していることも指摘してきた通りです。

以下はBiSHの最新曲。歌詞はモモコグミカンパニーで、曲はアイナ・ジ・エンド。メンバーが書いた詞でも「僕」と「君」です。

 

 

最近は「わい」という一人称を使うのもいます。トカナの角編集長も酔うと「わい」と言いますし、つい数日前には路上で二十歳くらいの娘さんが使っているのを聞きました。いろんな感情を表明していい時代になって、男のように複数の一人称があった方がいいってことじゃなかろうか。女の「ぼく」は細々とではあれ、長い歴史があり、いくつかのイメージがすでについているし、「おれ」は語気が強いので、ふざけたトーンが入る「わい」が使いやすいのかも。

社会を変えているのは、「フェミニズムの外にいるフェミニストたちである」、つまりは「フェミニストと自称しないフェミニストである」という事実がここでもはっきりと見てとれます。

 

 

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