松沢呉一のビバノン・ライフ

「新しい女」を悪魔呼ばわりして祈祷をした津田梅子—伊藤野枝と神近市子[付録編 1]-(松沢呉一)

伊藤野枝と神近市子」シリーズを読み直したら、加筆したいことが出てきました。元の文章に手を入れるだけでは済まず、あちらとは視点の違うものを新たに書いた方がいいと思い、付録編としました。おもに「キリスト教教育と「新しい女」の対立—伊藤野枝と神近市子[8]」や「肉と肉のぶつかり合い—伊藤野枝と神近市子[9]」の「社会主義者たちのゴシップ手法」を膨らませたものです。

 

 

「新しい女」を悪魔呼ばわりした津田梅子

 

vivanon_sentence五千円札に肖像が出ることが決定して、礼讃、礼讃、また礼讃の津田梅子評がよく出ています。

彼女が米国から持ち帰った経験をもとに、良妻賢母ではない女の学問の場を作ろうとしたのは偉大です。そこはその通り。しかし、津田女子英学塾(現在の津田塾大学。以下、「津田塾」で統一)に在学中の神近市子が「青鞜」に関与していることを知った塾長の津田梅子は「新しい女」を危険思想であり、悪魔だとして、悪魔払いの祈祷までしたことにも、少しは触れていいのではなかろうか。神近市子は、津田梅子の出した条件を飲んで青鞜社を退社し、東京から離れることで退校を免れています。津田梅子は具体的に「新しい女」潰しをやったのです。

津田梅子は当時としては進歩的だったとは言え、この程度だったことがわかるように、また、いかに「新しい女」が危険視されていたかがわかるように、五千円札には悪魔払いの祈祷をしている図柄が理想でした。

それでもお札になること自体はいいんじゃないですかね。マイナス面もありつつ、津田梅子にはプラスの貢献があったことは間違いなく、「新しい女」を容認できなかったことをもってその資格なしとすると、名のある戦前の女流教育家では、与謝野晶子以外、一人として資格のあるものがいなくなってしまいます。

だったら、与謝野晶子でいいように思います。文学にも教育にも足跡を残していて、現在も知名度が高いですから、津田梅子より適切だと思います。あるいは平塚らいてうでもいいと思います。津田梅子だったら平塚らいてうの方がずっと意味がありましょう。平塚らいてうを読んだこともない市井のフェミニストが少しは減るのではなかろうか。

でも、「青鞜」に関わった人々はあばずれですから、いまなおどこかでセーブがかかったりするのかも。また、この2人はそうとは言い切れない部分がありつつも、非戦派・反戦派ですから、その点で横槍が入ったりするのでしょうか。戦争を否定する人よりあばずれを否定して祈祷をする人の方がまだマシだと。

津田塾卒業生は官僚になっているのも多くて、この決定に関わっていたりするんですかね。

 

 

袋叩きにされた「新しい女」

 

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今でこそ誉め称えられる「新しい女」ですが、当時は四方八方から「不良」「阿婆擦(阿婆摺)」扱いされました。世間一般の男たちから非難されただけでなく、女たちからも強い反発を受け、とりわけ女流教育家からは激烈な批判をされていました。津田梅子はその一人に過ぎません。

新聞や雑誌に面白おかしく書き立てられて尾ひれがついた部分があるにせよ、「新しい女」たちは当時の女学校的価値観からすると、あってはならない「不良」「あばずれ」であったのは事実です。女学校は、キリスト教道徳か、儒教的道徳のどちらか、またはどちらをも採用し、国家が求める良妻賢母を教える場になっていて、これらの道徳は「新しい女」を認めるはずがなく、「青鞜」を読んだり、演説会に参加することも禁止している女学校が多くありました。改めて禁止令を出さないとしても、ほとんどの女学校がそうだったはずです。

その点、津田塾は女学校の系譜ではなく、私塾から専門学校になった学校であり、法が定める良妻賢母の教育機関である女学校と一線を引けていたわけですが、それでもキリスト教道徳の立場から「新しい女」を蛇蝎の如く嫌いました。

「新しい女」たちは、「霊肉一致」を理想とし、恋愛には忠実で、結婚制度にとらわれないことを旨としていましたから、婚姻前のセックスを容認、むしろ推奨していたと言えましょう。そりゃ、女学校では許されないし、当時の日本に移入された保守的キリスト教道徳でも許されない。

 

 

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