松沢呉一のビバノン・ライフ

太平洋戦争中でも活躍していたズロース泥棒-[ビバノン循環湯 548] (松沢呉一)

ヘソ占いとヘソ露出プレイ—ヘソがエロチックだった時代(上)」と「ヘソを出しただけで警察から呼び出された—ヘソがエロチックだった時代(下)」は「S&Mスナイパー」に書いた複数の原稿を合体させたものです。「ヘソを出しただけで警察から呼び出された—ヘソがエロチックだった時代(下)」の最後のオチがこの原稿の冒頭に続きます。

 

 

 

ズロース偏愛の始まり

 

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前号で、深夜の路上で「ヘソを見せろ」と脅したヘンタイがいたら、「犯人は私だ」と犯行の前から自白しましたが、「履いている下着を寄越せ」と脅したヘンタイがいても、決して私ではありません。

身体のパーツには執着がありますが、パンティやブラジャー、靴、パンストといった衣服には全然興味がかきたてられないのです。下着の好き嫌いはありますし、下着姿の女性にも興味はありますが、あくまで「その向こうはどうなっているのか」と想像をかきたてる装置であり、下着だけを取り出して興奮することはできないのであります。

うちに来てセックスして帰る際に、汚れた下着をまた履くのがイヤで、ノーパンで帰った女が下着を忘れていっても、それを眺めて興奮することはなく、はいてみたりすることもありません。

パンチラ写真を盗撮して捕まる人の気持ちは少しだけわかるのですが、ほんの少しだけであって、ましてベランダに干してある下着を盗んで捕まる人の気持ちはまったくわかりません。でも、世間には下着フェチって多いですよね。

洋装の下着であるズロースに対する偏愛は、ズロースが日本に入ってくるのとほとんど同時に始まっていたと思われます。ズロースは今のように性器に密着する下着ではなく、ゆったりと下腹部を覆うタイプの下着で、ペチコートのズボン型までがズロースです。今でもこのタイプの下着をつけているのがいますが、下に通常の下着をつけていて、ズロースは「見せパン」に近くて、実際、見せてくれたりします。あるいは冬の防寒具としての下着です。

明治以降、洋装をするようになった時代には、長いスカートに覆われていましたから、人に見られることはあまりなく、見えるとしても下部だけです。だから男たちは全貌を見たがったわけで、ここからズロースを偏愛する人たちも出てきます。

※寺尾きく等著『応用自在なる新洋服裁縫書 : 学校・家庭用』(大正12)より各種ズロース

 

 

ズロースの発見

 

vivanon_sentence和田信義著『国際談話秘密売買株式会社商品(昭和6)に「ズロースの発見」という文章が掲載されています。この短い文章はほとんどが「或る美学の先生の嘆声」からなります。

以下です。

 

脚線美

何といふ下司なものが我々の視聴をひくやうになったのでせう。

我々はやはり、チラの美を愛します。

試みに人間世界からふらゆる色彩の美をとりのけて御覧なさい。そこには何が残るか!

御無体な話ぢゃありませんか、肉体をまるだしにして、

それで自分の美を感ずるといふのは、正に審美学の逆行です。変態患者です。

いっそ穴ぐらにお住まいなさい、茶椀も皿もナイフもホークも、お櫃も杓子も、何にもゐらないではありませんか。

我々はどこまでもチラの美を愛します。

(略)

日本の婦人に

ああもしズロースといふものの発見がなかったら!

 

つまりは、丸出しは美学に反し、脚を晒すことで初めて成立する脚線美などもっての他、足首がチラっと見える程度の和の衣裳の方が美しく、洋装でもズロースがあってよかったという内容。

ここからズロース自体に美やエロを感ずることは自然な流れです。

 

 

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