松沢呉一のビバノン・ライフ

ある日突然マゾになる—『マゾヒストたち』(12)-(松沢呉一)

マゾとして生きる—『マゾヒストたち』(11)」の続きです。

※このシリーズは全体の流れや構成を考えて始めたわけではないので、話があちこちに飛びます。ご了承ください。

 

 

マゾヒズムが突然やってくる

 

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「正しいセックス」なんてどこにもない—『マゾヒストたち』(2)」に、しばしば思春期にマゾは悩むと書きました。しかし、思春期からマゾの自覚が始まるとは限らず、いい大人になってから、ちょっとしたきっかけでマゾになる人もいます。

人間の中には確実にサディズムもマゾヒズムも潜んでいるのだとの仮説からすると、なんら不思議ではありません。それまで自分ではこれっぽっちも気づいていない。ありふれた恋愛、ありふれたセックスをしてきた人が魔が差したようにマゾになる。たとえば、ある日突然金玉を蹴られたくなることが実際にあるのです。

食わず嫌いってこともあって、そんなことをしても気持ちがいいはずがないと思い込んでいた人が、いざやってみてその快楽に目覚めることもあります。そういう人たちもマゾヒストたちには出てきます。

私は一通りやっているので、この先新たに目覚めることはあまりなさそうですけど、乳首に針を刺されたことも、チンコに電流を流されたこともないので、いつその時が来るかもしれない。

とくに電流は気になっているんですよ。銭湯の電気風呂も、マゾ心が刺激されて好きだし。

納豆は長らく嫌いだと思っていたのですが、食べてみたら案外おいしかったようなものです。ああ、こんなことならもっと早くから納豆を好きになっておけばよかったと悔いるわけですが、エロの場合もどうせだったら自分の能力を眠らせたまま死んでいくより、歳をとってからでもいいので、開花させたい方がいい。

Master of the Acts of Mercy「The Martyrdom of Saint Lawrence」

 

 

性の分野では食わず嫌いが起きやすい

 

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食い物だと、食ったことのない食材は食いたい、食ったことのない料理は食いたいと思う人が多いのに対して、性についてはとことん保守的になる人が多いのは道徳があるからですし、今まで築いてきたものが壊れることが怖いからです。

たとえば「肉を食べてはいけない」「納豆を食べてはいけない」「タコを食べてはいけない」といった道徳がある社会においては、その禁忌が内面化しているため、踏み込むには勇気が必要で、その道徳を共有するコミュニティから排除される覚悟が必要になるのと同じです。

現実に妻子を捨てて女王様に走ったケースがマゾヒストたちには出てきます。結婚前に気づいていればこんなことにはならなかったのに。

男がマゾヒストであることを自覚し、実践すること、女がサディストであることを自覚し、実践することには勇気がいります。社会一般、男はS的、女はM的という役割分担があって、そこからの逸脱は怖いからです。

女装してケツにディルドを突っ込まれてヒーヒー言っているお父さんを息子や娘は見たくないでしょう。親の性的な場面はなんにしても見たくないものですが。

これが「自分はSだと自称したがるM男」を生み出します。自身、しばらくSだと思い込んでいたのが、気づいてみたらMに転じていた人たちが多いのはここに葛藤があるためです。

そこで葛藤しないため、早くから自分のマゾ性に気づいていた人たちは、結婚しないという選択もありますし、家庭は家庭、SMはSMとケジメをつけてうまいことやっている人が多いものです。あるいは結婚を機にやめようとして、道具も雑誌も会員権もすべて捨てる人がいます。そのうち復活するわけですが。

Bible Historiale, MS M.394 fol. 172r – Images from Medieval and Renaissance Manuscripts

 

 

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