松沢呉一のビバノン・ライフ

「表現の不自由展」と陳腐な学者の陳腐な論—メディアをめぐる不可解な現実[13]-(松沢呉一)

電話番号を覚えなくてよくなったことと覚えられなくなったことの関係—メディアをめぐる不可解な現実[12]」の続きです。

 

 

 

自分自身を一億に投影した愚論

 

vivanon_sentenceこのシリーズはもう少し続ける予定だったのですが、『マゾヒストたち』が出て、頭がそっちにスライドして、どうでもよくなってしまいました。

しかし、以下の共同通信の記事を読んで、もうちょっとやっておく気になりました。

 

 

 

 

©がついている「全国新聞ネット」は47ニュースを運営している共同通信系の会社です。以下、共同通信として扱います。

Facebookで知人がシェアしていたため、私も読んでみたのですが、「ひどい内容」というより「内容がない」と思いました。

以下はその感想を書いたFacebookの投稿です。

 

この人の言っていること、おかしくね?

たとえばこの部分。

 

 表現の不自由展を例に言えば、いわゆる従軍慰安婦を象徴する少女像や天皇の肖像に火をかけた作品をもって、「国家権力は展示を弾圧した。表現の自由は蹂躙(じゅうりん)された」のだそうである。するともう一方の側は「こうした作品は少なくとも自費でやるべきだ。権力に反抗しておいて、文化庁に金をくれとは何だ」と気色ばむ。両者ともにずいぶんと興奮しているようだが、視聴者の大半は呆れている。あるいは飽きている。

 なぜなら「お決まりの意見」にしか聞こえないからだ。彼らの対立には既視感しかない。一週間程度騒いだ後に、興味は次の事件へと移っていく。新しい事件には事欠かないが、事件の構図はとても陳腐で変化がない。これをもって私は、現在の日本の状況を「一億総週刊誌化」と言っているのである。

 

これの問題は一週間で飽きるメディアやSNS、それらの利用者にあるはず。表には必ずしも出ない議論はなされ続けているのだし、これを乗り換える試みもなされているのに、そこをとらえずに、表層でなされる議論が陳腐だとして切り捨てるこの人の姿勢こそが週刊誌化していて陳腐です。

週刊誌思考の人物が「週刊誌化」と他者を揶揄することに説得力があろうはずがない。これは質の悪い自己を基準にした、質の悪い「どっちもどっち論」でしょう。とことん陳腐。

こういった問題はインターネットと密接な関係があるのに、これを大正デモクラシーに陳腐に結びつけたことによって、そのことがどっかに消える展開も無理矢理すぎて、説得力がまるでない。

だいたいよ、日大危機管理学部は以前から何かと批判をされているわけですよ。日大アメフト部の問題について、危機管理学部は議論を深めて公開したのかよ。一億を語る前に自分らの問題を語れ。

 

 

言わんでいいことまで言っているかもしれないけれど、この記事の中身のなさを指摘するものとしては十分でしょう。

事実もデータもなにもなく、自己の心証だけを根拠にしています。前提がおかしいのですから、以降の論も役に立たない。

「表現の不自由展」に対するバッシングとそれに対抗する側の擁護論とをまとめて高見から切り捨てるこの先崎彰容教授の姿勢こそが今の時代の象徴です。いわば両者をバッシングすることで自己の存在をアピールする姿勢であり、こういう姿勢をインターネットが加速させています。そこを見ないでどうするよ。そのど真ん中にいる人なので、客観的に自分を見られないのでしょうけど。

 

 

Googleトレンドで見る「表現の不自由展」の動き

 

vivanon_sentence先崎彰容教授の言っていることとその薄さを数字で確認してみましょう。

以下は「Googleトレンド」で「表現の不自由展」を調べた結果です。

 

 

 

左の山が「表現の不自由展」が中止になった時の高まりです。

あっという間に数字は減少していって、8月3日に95ポイントだった数値が1週間後の8月10日には14ポイントまで落ち、さらに1週間後の8月17日には4ポイントまで落ちてます。たしかに1週間で話題は収束していきますが、これは先崎彰容教授が言うように「お決まりの意見」の意見だからでしょうか。先崎彰容教授の言うことの方が定型の意見を重ねているだけのステロタイプの典型のように見えますけどね。

私はこれを見て、「そうだったのか」と思ったのですが、この話題のピークはこの時ではなく、再開した10月8日です。ピークである100ポイント。

こちらもその日をピークにあっという間に数値は落ちますが、その左に小さな山がふたつあります。これは中間報告書が出たタイミングと、再開することについての議論の盛り上がりだろうと思われます(追記)。13ポイントと14ポイントですから、ピーク時に比較すると、どちらもたいしたことはないですけど、最初の盛り上がりによって認知されたこの問題に、続報をメディアが投下すると食いつく状態が作られたことがわかります。消費されつつ、蓄積もされているのだろうと想像します。

追記:小さな山の左(9月26日)は知事の「再開を目指している」発言(9月25日)と文化庁の補助金不交付(9月26日)、右(9月30日)は展示再開の合意だろうとのご指摘をいただきました。

 

 

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