松沢呉一のビバノン・ライフ

大杉栄を殺そうとしたことが痛快だとさ—宗教的偽善者・神近市子を評価する田嶋陽子[上]-(松沢呉一)

田嶋陽子著『愛という名の支配』を褒めたり貶したり貶したり」からスピンアウトしたものです。カテゴリーは残して、タイトルは別にします、

タイトルの「宗教的偽善者」は平塚らいてうの神近市子評から借りました。平塚らいてうの神近市子評と田嶋陽子の能天気な神近市子評を比較することで、平塚らいてうの問題意識が今の時代に欠落していることに気づけます。田嶋陽子を現在のフェミニズムを代表する存在として扱うつもりはないですが、田嶋陽子に通じるフェミニストは多いはずです。また、これを先にやっていくことで、田嶋陽子という人がどういう人かわかりやすくなり。『愛という名の支配』の問題点もよくわかってくると思います。あちらはあちらでまだまだ続きますから。

 

 

神近市子がルーツだったとは……絶句

 

vivanon_sentence田嶋陽子著『愛という名の支配』を褒めたり貶したり貶したり」を始めた時に「いつやめてもいいもの」とFacebookに書きました。数字を都合よく使っていることを指摘し、その調査を正しくとらえるなら、まったく成立しなくなっている「奴隷船モデル」に今もしがみついていることの間違いを指摘しておけば十分かとも思っていました。

しかし、以下のインタビューを読んで、そうもいかなくなりました。

 

 

 

 

田嶋 そうですよ。挙句の果てに、親が学校の先生に相談して、こんな色気づいた娘を男女共学にはやれないというんで、高校は進学校ではない女子高に行かされました。そのとき、私の夢も死んだんですね。高校では、図書館に籠って本ばかり読んでました。そこで出会ったのが、社会運動家の神近市子さんや、日本女性で初めて国連代表になった藤田たきさん。神近市子が大杉栄を刺した話なんか痛快でしたね(笑)。

―― いわゆる「日陰茶屋事件」ですね。神近から経済的援助を受けていた大杉が、伊藤野枝とも恋愛関係になったことで、神近が大杉を刺して重傷を負わせた。

田嶋 社会主義だなんだと言ったって、すごく女性蔑視じゃないかと共感したんです。神近さんも藤田さんも津田塾卒だったので、私も津田塾に行くことにしました。

—文春オンライン「フェミニズムの“パイオニア” 田嶋陽子さんインタビュー

 

 

カッコつきとは言え、「フェミニズムのパイオニア」は言い過ぎであり、正しくは「フェミニスト・タレントのパイオニア」といったところでしょう。しかし、その意味でも中山千夏の方がずっと早い。中山千夏はテレビでそれを前面に打ち出していたわけではないし、活動の幅が広い人なので、お茶の間においてその印象は強くなかったでしょうが、中山千夏はリブの集会でも賛同人として名を連ねていることがあったと記憶しています。

これは編集部がつけたタイトルであり、事前にそこまで見せてもらえないこともあるのですけど、ネットの場合はあとから文句をつけられますから、そのままにしているってことは田嶋陽子自身、そういう自認があるのでしょう

では、そんな立派な人なのかどうかを見ていきましょう。

田嶋陽子のルーツは神近市子なんだそうですよ。これでは話が噛み合うわけがない。

田嶋陽子著『愛という名の支配』を褒めたり貶したり貶したりを書き始めた時には、私自身がかつて読みが浅く、この本を褒めてしまったことの恥ずかしさもあって、なおかつ担当編集者が同じということもあって、やんわり批判して終えるつもりだったのですが、このインタビューを読んで、もはや容赦する必要はないと考えを変えました。これ以降は、今までより表現がきつくなります。

これを批判するために、先に「伊藤野枝と神近市子」[付録編]を出したのであります。わからないことがあったら、あちらを読んでちょ。

 

 

フェミニスト・タレントの正体見たり

 

vivanon_sentence田嶋陽子が高校の時に読んだのは『わが青春の告白』(1957)かと思います。私はこの本は読んでいないのですが(入手したような気もします。そう何冊も読みたい人ではないですから、放置したまんまかも)、その後書いていることと同類でしょう。

この時期の神近市子は、「主婦のため」として売防法制定に動いていて、その立場でしばしば新聞や雑誌に登場していました。また、悪書追放の主張も展開していました。

大杉栄は流行作家と言っていい人気があったのに、また、執筆のみならず翻訳の仕事もしていたのに、どうしてすっからかんだったのかと言えば無政府主義者として特高にマークされていたからです。

このことは『美は乱調にあり』からも読み取れます。検閲にひっかかって発禁になると制作費が回収できない。そのため、次号の金も用意できない。検閲される側が内務省に事前に金を出さなければならなかったのですが、その金も払えない。紙も押さえられてしまって、伊藤野枝が「青鞜」用に確保していた紙を大杉栄に横流ししてました。

とことん左翼陣営が苦しめられた戦前の内務省の検閲がなくなったら、その代わりとなって表現規制をやり始めたのが神近市子です。

 

 

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