松沢呉一のビバノン・ライフ

大杉栄らの自由恋愛と平塚らいてうらの自由恋愛—伊藤野枝と神近市子[付録編 3]-(松沢呉一)

一世紀前からあった炎上商法—伊藤野枝と神近市子[付録編 2]」の続きです。

 

 

 

自由恋愛は大杉栄の専売特許に非ず

 

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大杉栄の自由恋愛論とその実践は滑稽な感もありますが、前回見た「戦略」に基づいていたと考えれば納得しやすい。大杉栄が書いているように、四角関係になったのは半ばヤケになった果てのことですから、最初から計算があったわけではないでしょうけど、いざそうなって以降は計算があったのではなかろうか。

ここで滑稽なのはその内容ではなく、わざわざ 3カ条のルールを定めて公開したところにあります。その指し示す範囲には幅がありますが、自由恋愛を提唱していた人たちは決して少なくありません。もともと自由恋愛は婚姻制度にとらわれないで「霊肉一致」を実現することを指していて、「新しい女」たちもおおむね自由恋愛主義者であり、その実践者です。そのことは「新しい女」たちが自認していたことです。

その対象が複数であってもいいとする自由恋愛の主張も大杉栄の専売特許ではなく、また、知識人たちが論として掲げていただけでなく、カフェやダンスホールでも自由恋愛は行なわれていました。実際にそういった場でのセックスについて自由恋愛という表現が使用されていたりします。良妻賢母を学んでいるはずの女学生たちの中にも相手をとっかえひっかえして遊んでいるのがいたことは今まで取り上げてきた通り。

不良の一部ではルールを明文化していた例がありますが、通常はなんとなくできあがっているルールが共有されている人々の間で行なわれるだけ。農村は農村の、都市は都市の作法があって、今と同じで、遊んでいる人たちは遊ぶし、そうじゃない人たちは制度に閉じこもる。

コミュニティのルールが壊れている今の時代にもルールがないわけではなくて、個人個人が経験を蓄積をしていき、それぞれにルールができていきます。この個人の知恵を聞くのが私は好きです。ヤリマン作法。

この作法からすると、大杉栄の自由恋愛は完全にミスです。ヤリマン・クィーンの有奈めぐみさんに採点してもらうと、大杉栄は0点になりましょう。有奈めぐみさんに限らず、たいていのヤリマンは0点と言いそう。

※倉田百三も『一夫一婦か自由恋愛か』(大正15)で、個人主義および合理主義の立場から自由恋愛を主張しています。そこに恋愛がある限り、相手の人数は問わず、です。大杉栄と伊藤野枝が虐殺されたあとです。こういうことを書けば当時は大杉栄を誰もが想起したでしょうが、それでも自由恋愛支持を表明したのは天晴かと思います。

 

 

大杉栄の失敗

 

vivanon_sentenceまずメンバーの選択が決定的なミスです。ヤリマンは多数とセックスした上で、その中から厳選して相手を残していきます。残す率はわずか数%。人によっては1%以下。その審査がないまま、身の回りで調達したら、トラブるに決まってます。

これを実現するためには数をこなすのが絶対条件です。その点、戦前のヤリマン・グループ小鳥組は良妻賢母になるために恋愛経験を重ねる修練としてセックスをしてました。そうしないと、本当に自分が愛せる相手と出会えないという考え方です。つくづく小鳥組は愛らしいです。

「友人の彼氏や元彼には手を出さない」「仕事関係ではヤらない」といったように、人間関係ができている範囲ではセックスをしないという知恵もよくあって、これはトラブル回避のためには正しい。身近になればなるほど、嫉妬心も生じやすい。「どっかの誰かとヤっている」なら許容できるのに、その相手を知っていると嫉妬心が生じやすい。

 

 

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