松沢呉一のビバノン・ライフ

瀬戸内寂聴著『美は乱調にあり』を面白く読めなかった理由—伊藤野枝と神近市子[瀬戸内寂聴編 1]-(松沢呉一)

ここまでの「伊藤野枝と神近市子」シリーズを踏まえていただいて、ここからは「瀬戸内寂聴編」です。

 

 

 

『美は乱調にあり』の気になる点

 

vivanon_sentence大杉栄の自由恋愛の実験について知るためには、瀬戸内寂聴著『美は乱調にあり』も少しは参考にはなります。

史料としては使えないため、この本は今まで取り上げていません。ただの恋愛とセックスについての小説として読むならともかくとして、大杉栄と堀保子、伊藤野枝、神近市子の関係を正確に知るんだったら、他の本を(あるいは「他の本も」)読んだ方がいいと思います。

全然知らない話だったら、「こんな人たちがいたのか」と驚くこともできたかもしれないですが、すでに知っている話だったため、「ここは違わないか」といったところが気になってしまって、私は『美は乱調にあり』を面白く読めませんでした。

どこがどうダメだったのかを確認するため、軽く読み直したのですが、たとえば瀬戸内寂聴は神近市子を美人としています。美人か否かは主観ですから、どう思うのも勝手ですが、平塚らいてうは神近市子が美人じゃないとわざわざ書いていますし、神近市子本人が自伝で書いているように、彼女は幼い頃から、自分の容姿に強いコンプレックスを抱いていました。

ここに瀬戸内寂聴が主観を持ち込んだことで、神近市子の描写は上っ面をなぞるものになりました。瀬戸内寂聴は「登場人物は美男美女じゃないと客が集まらない」と考える映画プロデューサーのような気分だったのか、こうしてしまったことで、神近市子の行動の意味が見えなくなって、「愛した男に一途な神近市子」でしかなくなってしまったのです。

前にも使用した神近市子の写真。ここから借りました。

 

 

神近市子の強いコンプレックスが見えなくなった

 

vivanon_sentence神近市子は人としては近寄りたくないタイプですが、小説の素材としてはこの上なく興味深い人はずです。瀬戸内寂聴はそれを活かしませんでした。小説ですから、個人の内面まで正確に再現する必要はないのですが、彼女の強い劣等感に触れなかったことは小説としても面白味を減じているとしか思えません。

美は乱調にあり』は伊藤野枝と大杉栄の物語ですから、その本筋をわかりやすくするためにそうした可能性もありますが、後半は神近市子を加えた3名の話になっていて、この劣等感が神近市子の行動を規定していて、大杉栄との関係も、日蔭茶屋事件も、このことを無視すると、十分には理解できないはずなのです。

瀬戸内寂聴は、関係者への取材もしていて(記述されている範囲では伊藤野枝の親族ですが)、当然、資料にも目を通しています。人間の行動の裏にあるものを見抜けないはずもないし、瀬戸内寂聴が力量として描き切れなかったということも考えにくい。どうしてこうしたのかが皆目わかりませんでした。

小説内の事情ではないところであり得るのは、神近市子への配慮です。エロス+虐殺」を訴えたくらいで、神近市子は自分の見え方を気にしていて、正確に事実を書かれることも嫌っていたのだと思えます。戦後作り上げた虚像が壊れるためです。

美は乱調にあり』の単行本が発売されたのは1966年です。「エロス+虐殺」は1970年公開です。神近市子は1981年没ですから、小説にも文句をつけるか、訴えるかする可能性があったのではないか。「神近市子は自分の記述にうるさい」といった評判がなかったのだとしても、存命の人には気を使うってものです。瀬戸内寂聴自身が配慮したのか、あるいは編集者から、「神近さんの描写は穏便に」といったアドバイスがあったのではないかとも想像します

根拠はない。ただ、そうだとすれば納得できるってだけ。

※『美は乱調にあり』は瀬戸内寂聴の代表作のひとつと言ってよく、瀬戸内晴美の名で文藝春秋から単行本が出て、角川書店から文庫化され、現在は岩波現代文庫から出ています。タイトルは素晴らしいですが、どうしてそうも評価されているのかわからない。

 

 

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