松沢呉一のビバノン・ライフ

底辺からの変革を目指した伊藤野枝と権威を目指した神近市子—伊藤野枝と神近市子[付録編 5]-(松沢呉一)

「新しい女」は自らの性愛を商品化した—伊藤野枝と神近市子[付録編 4]」の続きです。

 

 

 

「道徳派」対「新しい女」の対立は中流以上のインテリ内の闘い

 

vivanon_sentence女流教育家+矯風会等のキリスト教団体による「道徳維持連合軍」対「青鞜」+一部文化人の「道徳懐疑派連合軍」は共通点がありました。どちらも中産階級出身のインテリってことです。だいたい女学校は出ています。

同じ「戦前」でも、時期によって大幅に数字が変化し、正確な数字はわからなかったのですが、「青鞜」の時代、女学校まで行けたのは女子の10%を大きく切って、5%程度ではなかろうか。今現在で言えば大学院に進む率と同じくらいです。伊藤野枝のように親戚の世話になったのもいますが、賢いだけじゃなくて、女学校に行けるのは経済的余裕のある都市生活者の娘たちです。

これについては堺利彦も指摘しています。

以下は堺利彦著『現代社会生活の不安』(大正14)掲載「労働婦人」より。

 

「新らしい女」といふ言葉は、もう大ぶん前から行はわれているが、本当の新らしい女はこれから出るのぢゃないかと考へられる。これまでは、中等階級らしい智識的の婦人だけが「新らしい女」と目されてゐたが、それは只新らしい女の先駆に過ぎない。本当の新らしい女は新式の労働婦人の間から出る筈だ。

 

この「新式の労働婦人」というのは、大正から昭和初期に急増した新しい女の職業を指しています。

労働婦人」と題されたこの章の趣旨からすると、女工や女中、売り子のような労働者階級から「新しい女」が出てくるべきという結論になりそうなのだけれど、その層は給与面でも時間面でも余裕がないので、それよりも余裕のあるエレベーターガールやタイピスト、事務員たちに期待するといったところ。

大正に入ると女学校の数も急増し、女学校出身者がそれらの職業にも流れ込んでいたことも条件を整えつつありました。

わかりやすい形では堺利彦の期待は叶えられなかったのですが、まさにその層から、道徳を乗り越えていく個人が少なからず出ていくことになります。林芙美子を筆頭にカフェーが女流作家を次々と輩出したのがその一例です。いかがわしいと思われていた職業こそがそれを担いました。

 

 

売淫婦人

 

vivanon_sentenceこの本は貧困問題と、それにからめた婦人問題を論じたもので、貧困と婦人問題の両者を見据えているところに意義があります。

この「労働婦人」のあとに出てくる「売淫婦人」がちょっと面白いので、こちらからも引用しておきます。

 

売淫婦の中でも、上級の芸妓などは、上流男子の玩弄品で、どうかすると令夫人に成りすますのもある。令夫人とまで行かないまでも、相当な奥さんに成れる機会は少なからずある。美貌を持った婦人が此の立身の階梯を踏むのは当然な事である。いつぞや、女学校を卒業した婦人が芸妓になったと云って問題になった事があるが、芸妓になるのと、女子大学にはいるのと、どちらに立身の手蔓が多いか分かりはしない。

下級の淫売婦は、売る者の方でも貧乏からの事だが、買ふ者の方でも同じ事である。女房を持つだけの働きのない人が、止むなくそこに出かけるので、必ずしもフザけた沙汰ではない。むしろノッピキならぬ悲惨な現象である。そして売る者の方では、極めてまじめな、糊口を凌ぐ為の労働である。総ての労働が若し神聖ならば、性欲労働と雖も、矢張り神聖な筈である。

 

 

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