松沢呉一のビバノン・ライフ

今なお続く道徳派の傲慢と対抗するあばずれたちの主体化—伊藤野枝と神近市子[付録編 6]-(松沢呉一)

底辺からの変革を目指した伊藤野枝と権威を目指した神近市子—伊藤野枝と神近市子[付録編 5]」の続きです。

 

 

 

卓抜した花園歌子の慧眼を改めて思う

 

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伊藤野枝はそれでも中産階級の知識層からなる「青鞜」の仲間入りしていたのに対して、ここから外れていたのが花園歌子です。

彼女も女学校は出ていそうですが、それを売りにはしておらず、それを踏まえた職業や地位にいたわけではなく、なにしろモダン芸者です(前回の引用文で、堺利彦は「女学校を卒業した婦人が芸妓になった」と書いていますが、モダン芸者にはそういうのが複数いそうです。三味線や小唄、日本舞踊ができなくてもモダン芸者はできますから、小さい頃から修業を積む必要はありませんでした)。

花園歌子は、「青鞜」のみならず、大杉栄や伊藤野枝が残したものを吸収し、自身を「性的プロレタリア」として、芸娼妓を道徳から自由でいる「フリーウーマン階級」と位置づけ、廃娼運動のブルジョア的本質を見抜いて批判しました。

さらに彼女は、「霊肉一致」が新たな規範となって、人々の行動を抑圧していくことを予見していていました。そりゃそうなのです。愛は計量することはできず、第三者がそこに愛があるのか否かを判定することもできない。であるが故に「愛がない」と決めつけることも可能になって、「愛」は新たな道徳維持のための道具にもなってしまいます。

花園歌子はホントにすごい人でありまして、はぐれものの彼女だからこそ見えていたものがあったのですが、こういう存在を蔑視している道徳派はもちろんのこと、婦人運動家も彼女を無視してしまいました。「婦人運動は私らエリートのインテリがやるべきこと」「それができるのは私たちだけ」「芸者ごときに何がわかるのか」という思い上がりが抜き難くあったのだろうと思います。

上からの蔑視に対して、芸娼妓自身による主体化の先駆的存在が花園歌子でした。彼女は間違いなく伊藤野枝の継承者です。

※「モダン芸者」で検索したら、こんなんが出てきました。米人カメラマンzabrinaが、東日本大震災の時に日本で撮影したモダン芸者をテーマにしたチャリティーをやっていたらしい。JEZAは彼女のスタジオ名のようです。大正時代のモダン芸者と無関係のネーミングです。大正期のモダン芸者はこういうことではなく、断髪、洋装の芸者です。日本版フラッパーたるモダンガールの芸者。元祖コンパニオンとでも言うべきか。

 

 

セックスワーカーこそ性を主体化している

 

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花園歌子の思想は、直接どこかに継承されることはありませんでしたが、赤線時代の新吉原女子保健組合を中心とした従業婦組合で大きく展開を見せます。彼女らは自身の名前を出し(店での名前だったりしますが、中には本名もいました)、時に顔まで晒して主張をし、「婦人新風」で表現物を発表しました。「新しい女」たちが実践した主体化を売春をする女たちがやったのです。

スクリーンショット(2015-01-06 12.50残念ながら、この動きは神近市子を筆頭とする道徳派に潰されてしまいました。売春するような下賎な人間たちが主体的に売春をし、意思表示することが彼女らは許せませんでした。神近市子が売防法制定に動き出すきっかけが洋パンであったことがなによりそのことを証明してます。「強いられてもいないのに、売春をするとはなんたることか」ということだったのです。

「新しい女」がとった手法や赤線従業婦のとった手法は、ゲイにとって自身の下半身を晒すことが闘いになっていることにも通じます。だから、米国のゲイ団体はポルノ規制に反対をする。表現規制をする人々はこういった闘い方を潰すことを狙っています。道徳に足場のある人たちです。

道徳をめぐる対立の構図で見た時に、女という属性で神近市子を見るのではなく、道徳をどうとらえていたのかで見た方が適切であることはもう十分に理解できたかと思います。彼女は人生のほとんどの時間を自立せんとする「新しい女」と敵対する道徳派として生きました。

 

 

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