松沢呉一のビバノン・ライフ

ドイツ人女性によるユダヤ人殺害を可能にした条件—ジャパニーズ・サフラジェットとナチスと包茎と田嶋陽子[4]-(松沢呉一)

ほとんどの殺人者が逃げ切った—ジャパニーズ・サフラジェットとナチスと包茎と田嶋陽子[3]」の続きです。

 

 

今になって明らかになる東部占領地域の実情

 

vivanon_sentenceナチス研究は1990年代以降、新たな局面を迎えます。東ドイツや東ヨーロッパにあった資料の検討が容易になって、とりわけ東部占領地域においてナチスドイツがやったことの解明が進んでいき、東部総合計画の全貌もやっと明らかになっていきます。ナチスが焼却した資料が多いとは言え、多数の文書が残されていて、その分析は今も続いています。

ウェンディ・ロワーは、そういった資料の分析をしていくうちに、裁判にかけられた収容所の看守や医師、看護師だけでなく、広く女たちがホロコーストに関与していた事実を見出していきます。

そこをあぶり出したのが本書であり、そのテーマにおいて、ある種のフェミニストに典型的に見られる二分法の役割を指摘したのが前回見た引用文です。他の箇所で、フェミニストの二分法を詳しく指摘しているわけではなく、なぜあの引用文では「フェミニスト」と名指したのかは不明です。

殺人者たちを処罰できなかったジェンダー・バイアスは、社会全体に存在していて、むしろ男の方が強いのではないかと思われ、現に女の殺人者たちを罰しなかった司法の圧倒的多数は男です。しかし、そのジェンダー・バイアスを逆手にとって強化していったのが一部フェミニストで、それが同性である著者には腹立たしく思えたのかもしれないと想像します。

女によるユダヤ人虐殺を見逃した主体は誰であったのかの議論はあるとして、また、一方に「女こそが犠牲になった」と言っていい部分があるのは事実として、まとめて「女は犠牲者である」という見方が殺人者たちを見逃したのです(どこまでそう言えるのかの議論もありえて、これはもっとあとで具体例を見て検討します。ここではあくまで著者の主張に則ります)。

言うまでもなく、この二分法は日本でも見られるものです。「男が政治をやるから戦争になる。女が政治をやれば平和になる」「男は狩りに向く、女は家を守るようになっている」という言説が典型ですし、「女は犠牲者である」という見方が、この国の婦人運動家たちの戦争協力を見えなくしてしまいました。

さらには戦後のパンパンたちも「道徳に対する反逆者であった」という実相が見えなくされ、「生活のために街に立った哀れな女たち」「RAA崩壊によって街に投げ出された国家の被害者」という見方が広がってしまいました。その点ではヒトラーの娘たち闇の女たちは通じています。

数字を無視して、今なお「奴隷船」モデルに固執する田嶋陽子はこの二分法の権化です。わかりやすいだけで中身はない。局面によっては今なお有効なこともあるでしょうが、あくまでそれは個別例であって、無闇に適用することで問題解決の障害になることがナチスの例から読み取ることができます。

これは過去のドイツの問題だけでなく、今の日本の問題でもあり続けています。

 

 

職務でもないのにユダヤ人を殺した女たち

 

vivanon_sentenceヒトラーはもちろんのこと、ヒムラーハイドリヒなど、東部戦略と関係の深い人物も前提として出てきますし、女性指導者ゲルトルート・ショルツ=クリンクや有名どころの女看守の名前も出てきますが、それらは軽く出てくるだけで、この本の冒頭に略歴が出された「おもな登場人物」の13名中、私が知っている名前はたったの1人だけでした(この本を紹介している記事で取り上げられていた名前はほかにもありますが、覚えるところまでは至らず)。

これらの名前を検索してみるとわかりますが、その記述はほとんどすべてが『ヒトラーの娘たち』に負っています。ウェンディ・ロワーが「発掘」した人々なのです。ユダヤ人の殺害で裁判になっている人もいるのですが、戦争犯罪人を裁く一連の英米による裁判ではないため、あまり着目されてきませんでした。まして日本では無名と言っていい人々です。

記録が少ないため、あとは推測でしかなく、時々、「ウェンディ・ロワーの記述が事実であるとするなら」といった留保つきで引用されていることがあります。これは当然であり、彼女らは権力を持つ存在なのではなく、ただの秘書、看護師、主婦なのです。そのため、さらなる資料を探すことが難しい(留保をつけたくなる理由は上に書いた「どこまでジェンダー・バイアスが作用したのか」についての疑問でもあり得ます)。

しかし、ここも注意が必要で、この13人については全員がナチスの組織内にいるか、ナチスの家庭内にいますから、ただ支配地に移住した人たちではなく、「普通の人」とまでは言えない。それもまた「普通の人」であるとすることもできますが、虐殺を可能とする場にいたことは明記しておきます。

 

 

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