松沢呉一のビバノン・ライフ

意思ある個人を見えなくした「犠牲者化」—ジャパニーズ・サフラジェットとナチスと包茎と田嶋陽子[5]-(松沢呉一)

ドイツ人女性によるユダヤ人殺害を可能にした条件—ジャパニーズ・サフラジェットとナチスと包茎と田嶋陽子[4]」の続きです。

 

 

 

ジェンダーの不平等を克服する民族的優位性

 

vivanon_sentenceドイツとその占領地域においてはアーリア人とされた人々はことごとくユダヤ人やジプシーより上位です。そこまではよく知られているわけですが、スラブ人よりも上位です。民族ドイツ人以外のスラブ系は東部総合計画においては抹殺の対象であり、生き残ったスラブ人は家畜化するつもりでしたから、ユダヤ人と大差なく、牛や豚と大差ない。

また、同じ民族ドイツ人であっても、働けない老人、障害者、精神病者、遺伝的疾患のある人々より、若くて健康な女は価値があります。これが揺らがぬナチスの価値観です。

「男女」という軸だけでは、このヒエラルキーは理解ができない。現に女たちは障害者に注射をして殺し、重傷を負ったドイツ兵を安楽死させ、男とともに酒を飲みながらユダヤ人を銃で射ち殺す狩りを娯楽とし(この話は以前から目にしていながらも信じていいのかどうかわからなかったのですが、どうやら実話っぽい)、ユダヤ人の子どもを壁に叩きつけ、バルコニーから突き落として殺しました。

一般人であっても、ドイツ人は絶対的な支配者層にいました。一般人では殺すことは許されていなかったですが、ナチスの組織内、あるいはナチスの家族内にいれば、それも可能であり、女であっても、現にユダヤ人を殺した人たちがいました。この本に出てくる女たちの中には戦後裁かれたのがいますが'(だから記録が残っていた)、戦中は問題になっていません。思いつきで殺しても、娯楽として殺しても問題にはなりませんでした。

イルゼ・コッホは戦中裁判にかけられていますが、あれはユダヤ人から収奪したものを隠匿した容疑ですし、夫は処刑され、彼女は無罪です。彼女も知っていて、その恩恵を受けていたでしょうが、直接隠匿していたのは夫ですから、家族が無罪でもおかしくはない。

つまり、民族的優位性は「ジェンダーの不平等を克服しえるものであった」のです(著者の言葉)。今の日本で言えば親の経済的優位性は「ジェンダーの不平等を克服しえるもの」であるのと同じです。

ジェンダーの不平等があったからこそ、民族的優位性を肯定し、その上に立った権力行使をしていったという見方もできましょう。事実、そうすることで、男と同じ力があることを誇示した旨を証言している殺人者がいます。これは日本の婦人運動家たちが戦争は女の力を見せる機会だととらえて、戦争協力していったことと重なります。侵略万歳、虐殺万歳。

※仏語版『Les furies de Hitler : Comment les femmes allemandes ont participé à la Shoah

 

 

控えめに言っても数千の殺人者が見逃された

vivanon_sentenceその価値観の上にドイツ人の女たちはいたわけで、東部占領地域では、看守やSSの補助員だけでなく、多くの女たちがナチス政権に積極的に寄与し、病院で、学校で、家で、ホロコーストに加担していきました。

この本に取り上げられているのはたまたま記録が残っていた人たちです。自身で手記を残した人たち、戦後告発されて裁判にかけられた人たちです。

ユダヤ人を殺しても、女の場合はその地位や肩書きから犯罪を類推し、その責任を証明することが難しい。英米の裁判においては、ホロコーストに直接関わった者以外の末端の職員は起訴対象から外されたために見逃されました。

占領軍の裁判のあと、西ドイツの、あるいは東ドイツほかでの裁判が続きますが、東部占領地域での殺戮は徹底していたので、証言をするユダヤ人自体が少ない。東部戦線ではドイツ兵も多数死んでますから、ドイツ兵の証言も得にくい。東部から逃走して散り散りになったため、証言も証拠もないため、ここでも女たちは見逃され、ごく僅かな例が裁判になっただけです。しかし、1名を除いて、それらも無罪になってます。

 

 

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