松沢呉一のビバノン・ライフ

ユダヤ人を森に放って狩りをするドイツ人たち—ジャパニーズ・サフラジェットとナチスと包茎と田嶋陽子[8]-(松沢呉一)

大量に安楽死させて懲役1年、多数の子どもらを惨殺して無罪—ジャパニーズ・サフラジェットとナチスと包茎と田嶋陽子[7]」の続きです。

 

 

 

妻たちにも権力はあった

 

vivanon_sentenceウェンディ・ロワー著『ヒトラーの娘たち』の主要登場人物13名のうち、起訴された4名の最後はヨゼフィーネ・クレップ(Josefine Krepp Block)です。

ヨゼフィーネはウィーン郊外の実家に住んでいましたが、1933年、キャリアアップのため、また、結婚相手探しのために、ナチスの集会に出かけていき、党員の申請を出しています(認められたのは1938年。時間がかかったのはオーストリアの事情による)。当時、ナチスの党員となり、ナチスの活動を積極的にやることは出世の早道であり、ナチス内で力のある、あるいは将来性のある男を捕まえる方法でもありました。

その目論み通りに警察署に勤務したのちに、ウィーンのゲシュタポ本部に異動となります。別組織ですが、ナチス人脈で組織を超えて異動することはよくありました。

1940年、親衛隊員のハンス・プロックと結婚、隣人がゲルトルーデ・ゼーゲル(そのうち出てきます)であり、2人は友人となります。

1942年、ハンス・ブロックはミンスクのゲシュタポ事務所長となり、ヨゼフィーネはゲシュタポに属していたわけではないながら、夫がいるゲシュタポの事務所をよく訪れ、ハンスは彼女にユダヤ人労働者が働く作業所などを任せていて、彼女自身が権力を行使していました。

200人のジプシーを広場に集め、ウクライナ人の補助隊員らにヨゼフィーネが鞭を手にして、ジプシーたちを殺す命令を下しているところが目撃されています。また、働くことができないひ弱なユダヤ人の少女4名を射殺するようにハンスの部下に命じたり、自身のベビーカーをユダヤ人の小さな子どもにぶつけて殺したこともあったとされています

1946年、ヨゼフィーネは逮捕されました。彼女とゲルトルーデ・ゼーゲルは戦後も友人つきあいを続け、自宅も同じ通りにあり、その自宅からは、戦時中の写真、ゲッベルスの著書、銃剣などが見つかり、戦争犯罪および殺人罪で起訴されました。

ハンス・プロックは戦死していたため、ヨゼフィーネはすべてを夫に押しつけ、自分はユダヤ人に暴力をふるったことはなく、むしろユダヤ人を助けたことがあり、しかも、当時は妊娠していたことを強調し(だから、そんなことをするはずがないと)、彼女を告発したユダヤ人こそが殺人者だったと言い出しました。それでも彼女は無罪となりました。

ここでの注目ポイントは、SS幹部の妻は制度上はなんの保証もないまま、多大な権力を持ち得たってことです。安倍晋三の妻みたいなもんです。公私混同はやめるべし。

※ヨゼフィーネ・クレップの写真は見つからず。ここに出したのはチェコのサイトに出ていたもの。リーゼル・リーデル(下記参照)の夫が所長をしていたヤノフスカ収容所の写真とあります。ガス室のあった収容所はほんの一部だったので、銃殺をしていた収容所もあったはず。監視塔の上から撮ったものか。

 

ユダヤ人狩りをした秘書

 

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ナチスの男たちや女たちは森にユダヤ人を放って狩りをしたという話は以前から見てましたが、「そこまでするかな」と半信半疑でした。甘かったです。ナチスの秘書だったリーゼロッテ・マイヤー(Liselotte Meier)がその件を裁判所で半ば認めています。

リーゼロッテは、ザクセンの町で育ち、ライプツィヒで工場勤務をしていましたが、東部占領地域で働くことを志願します。

ポーランドで、軍事訓練を含むオリエンテーションがあり、ここで知り合った突撃隊高官のヘルマン・ハンヴェーク(Hermann Hanweg)に恋をします。ハンヴェークはベラルーシのリダで勤務することになり、彼はリーゼロッテを秘書に起用。ハンヴェークには妻と3人の子どもがいたのですが、リーゼロッテは彼の下で忠実な部下となり、愛人となりました。

2人はユダヤ人労働者たちを使って2人のための邸宅の改造をし、プールを建造し、情事のあとの食事を提供させました。

1942年5月8日、5,670人のユダヤ人たちが集められ、墓穴の前に跪いたところを射殺され、殺害現場まで歩けない老人と子どもは路上で殺されました。これを指揮したのがハンヴェークで、リーゼロッテもこの計画の立案に関与し、この年から翌年にかけての虐殺に何度か立ち会い、ユダヤ人から押収した物品のリスト作りも担当し、この一連の虐殺についてもっともよく知るのが彼女でした。

公印を管理していたのはリーゼロッテであり、彼女の判断で命令書は作成され、殺害リストも作られ、彼女は自分の髪の毛を担当するユダヤ人美容師はそのリストから外していました。やはり髪の毛はなにより大事だったようです。

 

 

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