犠牲者化の始まりと完成—ジャパニーズ・サフラジェットとナチスと包茎と田嶋陽子[10]-(松沢呉一)
「セックスからユダヤ人虐殺までを担当した秘書たち—ジャパニーズ・サフラジェットとナチスと包茎と田嶋陽子[9]」の続きです。
上昇志向の強い成り上がりの秘書たち
以下はウェンディ・ロワー著『ヒトラーの娘たち』から、エルナ・ペトリが裁判で供述した6人の子どもを射殺したことの弁明です。
当時、射殺したとき、私はたったの二三歳で、まだ若くて経験もありませんでした。ユダヤ人を射殺していた親衛隊員の間で暮らしていたのです。ほかの女性と会うことはほとんどなかったので、だんだんと性格が強くなり、鈍感になっていきました。親衛隊の男たちの後ろに立つなんて嫌でした。女でも男のように振る舞えることを見せたかった。だからユダヤ人四人とユダ人の子ども六人を撃ちました。男たちに、自分が有能であったことを証明してやりたかったからです。それに、当時この地域では、子どもを含めユダヤ人が射殺されているという話を、ありとあらゆるところで耳にしていました。それもあって、殺したのです。
ここでは脱走したユダヤ人4人も自分が殺したことになってます。これについてウェンディ・ロワーは改めて説明はしていなかったと思いますが、自白内容が変化しているので、こういう時期もあったのかもしれない。
ユダヤ人が殺されることが当たり前になっていたのが東部です。なおかつ、ナチス台頭以降に青春期を迎えた世代は、徹底的にナチス思想を叩き込まれてました。そこに権力志向が加わると虐殺に手を染めるところに至ります。
ヴェラ・ヴォーラウフがそうであったように、政治に興味があるわけではないのにナチスの活動をする。うまい汁を吸えることを期待してのことです。
看護婦や教員では何も知らずに東部に派遣された例が多数あったとして、秘書の場合はナチスに忠実で、なおかつ望んで東部に行ったのが多い。上昇志向や権力志向が強く、虐殺できる層が集まったと言っても言い過ぎではないかと思います。現実にそこまでやったかどうかは別にして。
ここでエルナ・ペトリが「女でも男のように振る舞えることを見せたかった」と言っている点に注目。太平洋戦争時に、戦争に協力していった婦人運動家たちと重なります。彼女らは男らに強いられていたのではなく、主体的にユダヤ人たちを殺していったのです。
※Books were collected for weeks ahead of the burnings 焚書のための本を漁っているところ。ヒルシュフェルトの蔵書ではなかろうか。ここにいるのは宣伝省の秘書でしょう。
東部占領地域でホロコーストを知らずにいることはほぼ不可能
この主体性が見失われて、「女は戦争の犠牲者だった」という言説が戦後伸していったことは間違いなさそうです。
では、これがどこからどう始まったのかを確認しておきます。
自分の罪、自分のミスを認めないのは今も昔も同じ、ドイツも日本も同じ。安倍晋三から上野千鶴子まで、見え透いた言い逃れをすることを私らは日々目にしています。
裁判において、職務で虐殺をした人たちは「命令には逆らえなかった」と弁明するのが常套句です。細かなことを問われると「知らなかった」も常套句。このような常套句の例も本書では羅列されています。
戦後被告になった人々の家族たちは、決まって「知らなかった」と証言しているわけですが、「信じられない」と著者は書いています。たしかに本書で挙げられた例を見ると、妻や恋人、愛人という立場でもホロコーストに関与していて、自身、殺害をしています。そこまで至った例は極一部だったとしても、人によっては家庭で話をしたでしょう。妻同士の交流もありました。
とくに東部では、ユダヤ人に対する迫害、殺害は日常茶飯事であり、道端に転がる遺体や、首をくくられた遺体があるような状態だったのですから、知ろうとしなくても知ってしまいます。
この点についてはエルナ・ペトリの証言は正しい。
知っていただけでは罪に問えないとして、とくに東部を体験した人たちが「知らなかった」と語るのはほぼ100%ウソだろうと私も思います。
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