ナチスの威光でいじめの報復をしたヘルタ・カスパロヴァ—ジャパニーズ・サフラジェットとナチスと包茎と田嶋陽子[13]-(松沢呉一)
「ウェンディ・ロワーの主張に対する疑問—ジャパニーズ・サフラジェットとナチスと包茎と田嶋陽子[12]」の続きです。
東部で起きたことを東部で裁くことと、ドイツで裁くことの違い
前回確認したように、連合軍の裁判では、女の戦争犯罪人としてはもっとも処罰しやすい医療関係と看守、カポを処罰し、残りをドイツ国内で裁いたのですから、連合軍の裁判の方が有罪とした数が多いのは当然です。
もうひとつ、ここで見ておくべきことがあります。アンネ・フランクの家族をアウシュヴィッツに送る決定をした警察官はオランダまたはドイツで勤務していたはずです。
アンネ・フランクとその姉が亡くなったのはベルゲン・ベルゼン強制収容所であり、アウシュヴィッツからそちらに移送した決定は、一人一人の名前を挙げたのではなく、残りをまとめただけと思われ、この死の行進に関わったSS隊員や看守らは裁判にかけられているため、それ以上追及することは不要だったのだろうと思われます。
つまりは同じことをやっていても起訴できる場合とできない場合、有罪になる場合と無罪になる場合、起訴するまでもなく処罰されている場合があって、一般に東部占領地域での犯罪を西ドイツで裁くことには困難が伴ったはずです。
連合国の裁判で、看守たちは収容所で連合軍に身柄を確保されてそのまま起訴されて被告になっていて、まだしも証言者は得やすかったでしょうが、それから数年過ぎていると、生存者たちもイスラエルや米国、カナダなどに移住していて、探すのが難しくなります。大物だったら、探した上に、それらの国々から来てもらって裁判でも証言させることもあるとして。
また、東部占領地域では皆殺しにされた村もありますから、そもそも証言者がおらず、いたとしても、すべてを見て記憶しているはずもなく、誰が誰を殺したのかもわからない。国内と違って現場検証もできないでしょう。
東部で起きたことで、殺害した人物が東部に留まって逮捕された場合は有罪にするだけの根拠が揃うのに対して、ドイツまで逃げ帰った人物についてはそれが難しくなります。
女たちがホロコーストに関与したのはとくに東部です。秘書や妻について西ドイツにおいて追及が難しかったのはそういう事情もありそうです。
ヘルタ・カスパロヴァの場合
犯罪行為があった場所で裁判になるのと、西ドイツで裁判になるのとではまるで違うことを確認するためにチェコの例を見てみましょう(以下の話は、ウェンディ・ロワー著『ヒトラーの娘たち』で取り上げられているものではありません)。
この写真はヘルタ・カスパロヴァ(Herta Kasparova)というチェコ人です。
彼女について詳しく書かれたのはもっぱらチェコのサイトで、自動翻訳では心もとなく、以下には間違いがあるかもしれないことをお断りします。
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