松沢呉一のビバノン・ライフ

蔑視される女優たちと型破りの婦人記者たち—女言葉の一世紀 153-(松沢呉一)

ハイカラと新しい女をつなぐ線—女言葉の一世紀 152」の続きです。

 

 

 

女優という職業の辛さを語る山川浦路

 

vivanon_sentence前回見た長谷川きた子は、インタビューの時点で学習院女子(旧・華族女学校)で舎監として働いていたのですが、その学習院女子がいかに保守的だったかを次に登場する山川浦路が語っております。この山川浦路は近代劇協会に属する新劇の女優です。

 

最近の事ですが、華族女学校同級会の幹事から、二尋(ひろ)もある御手紙が来ましたから、何の事かと、開いて見ると、マー聞いて下さい。

今回、同級会の決議に由り、今後、同級会以外の会合には御出席御断り申候。

ですって。私は、初めっから、御姫様方の心を、知って居りますから、何の会、この催しと、度々、御通知があって、わざと、遠慮しはて、出席は見合わせて居りましたのです。それだのに、今更、麗々しく、御断りが無くっても、宜いぢゃありませんかね。

其次に曰くですよ。

若し、同級会に御出席の説は、必ず、普通の髪に願ひたく候。

ですって、日本人の普通の髪ったらも、何でしやう。日本髪の事でせう。廂髪だって、結ひ初めは、変に見えたぢゃありませんか。ねえ髪の結ひ振りに、法則でもあるぢゃなし。

 

「同級会以外の会合には御出席御断り」というのは、「年に一回なりなんなり開かれる同級会はいいとして、それ以外の会合には出席しないで欲しい」ということなのだろうと思います。除名じゃない分、まだいいとしても、同級会、同窓会はそのくらいつきあいが強くて、そこにプライドのある人たちにとっては、こんな手紙を受け取るだけでもショックでしょう。

そこに興味のない山川浦路でも、そんな手紙を送ってくることに腹立たしさを隠せなかったようです。こんなことを新聞で語ったら、今後こそ除名にされかねないですが、それも上等ってことでしょう。

これは同窓生たちの決議ですから、多くの同窓生が、同じ学校から女優なんて職業に就くのが出てきたことを恥じていたってことです。跡見女学校の同窓会を除名された森律子と言い、この人と言い、いかに当時の女学校が保守的であったのか、いかに同窓生たちもそのブランドを守るために必死だったのか、いかに女優という職業が蔑まれていたのかわかります、

彼女は子どもを里子に出して女優業に賭けていて、それもまた同窓生たちからは嫌悪されたのではなかろうか。母をやることは女の絶対的な勤めなのであります。

なお、本書では、帝劇の大部屋女優たちが先輩女優たちの噂話をしている中で森律子が「律子さん」としてチラッと出てきます。「律子さんも、近頃になってから、あんまり、威張らなくなってねえ、悟ったんでしょう」と。前は威張っていたらしい。

森律子は女優で「新しい女」でもありましたから、女学校勢力からは二重に蔑視されたはず。「新しい女」たちでさえも、森律子を仲間とは見なしていなかったかもしれない。

 

 

新聞記者から料理屋の女将、そして女優になった下山京子

 

vivanon_sentence華族女学校を出ているのに女優になったところが斬新であり、規格外ってことですけど、女学校を出て、著者と同じく新聞記者になって、新聞記者を辞めて料理屋を出した下山京子も登場します。

下山京子はなかなか面白い人で、著書も何冊か出していて、半生記「色懺悔」は『一葉草紙』(大正3)に掲載されています。

東京四谷で育ったのですが、家が傾いて、大阪に引っ越し、大阪時事新報で新聞記者になります。時事新報は福沢諭吉が創刊した新聞で、その大阪支社です。のちに東京本社に異動。

これによると化け込み記事を最初にやったのは下山京子でした(「化け込み」ではなく「変装」と書いてますが)。イギリスの新聞に出ていた、記者が花売りに変装した記事にヒントを得て、彼女もお茶屋の仲居をやったり、小間物の行商をやったり。

 

 

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