松沢呉一のビバノン・ライフ

女の腰湯考—消えた習俗[上]-[ビバノン循環湯 555] (松沢呉一)

「スナイパーEVE」に書いたもの。SMと関係がないですが、昭和20年代の雑誌「風俗科学」にはSMネタがよく出ていて、同誌からSM関係のネタを拾ったあとの号で、ノゾキという変態って切口で書いたもの。

 

 

 

雑誌「風俗科学」から見る現在との相違点

 

vivanon_sentence「風俗科学」(第三文庫)は昭和28年から昭和30年まで全部で18号出ていますから、隅々まで読んでいると、けっこうな暇潰しになります。

通して読んでいて気づくのは「当時の変態も今とそんなに変わらないな。変態はいつの時代も変態だ」ということなのですが、同時に今とは違う点にも気付かされます。

時代によって環境が変わり、その変化によって欲望の出方も違う。当時は赤線がありましたから、それにまつわる記事も出ていて、ここが今と違うことは想定内です。しかし、想定外のところで違いが見えてくるのが面白いところ。エロから時代が理解できるのです。

この雑誌に限らないことなのですが、昭和20年代の雑誌には、屍姦の話が時折出ています。戦前にも屍姦はあったでしょうけど、検閲が厳しかったため、昭和20年代がもっとも屍姦ネタが多かった時代かもしれません。

また、今現在との違いを感じるところは、ノゾキです。ノゾキの欲望は昔からあって、欲望自体は今とそんなには違わないかと思いますが、やはり時代による環境が違って、昔はノゾキがしやすかったのです。そのため、ノゾキの記事は今の比較じゃなく多い。

今は機器の発達によって、盗撮というジャンルになるわけですが、昔はそんなものを使わなくてもノゾキができました。家と家の間の仕切り、家と道路の仕切りは生垣程度か、木の塀です。あるいはそんなものはなかったりしました。今だってそういうエリアはありますが、家と家が密着し、道路からいきなり玄関です。

今でも田舎や下町に行くと、玄関を開け放しているために家の中が見通せ、ばあちゃんがシュミーズ姿で横になっているのが見えたりしますが、昔は若い娘さんや奥さんでも、しどけない姿で縁側で昼寝をしているところが道からも見えたわけです。

日常的だったがために、その程度では興奮しなかったと思いますが、風呂にも換気扇がないので、窓を開け放す。トイレは汲み取りですから、下に空気窓があったりする。ノゾキやり放題です。

ここまでは想定内ですが、今は消えた庭先の裸がありました。

湖龍斉画「行水」

 

 

腰湯とは?

 

vivanon_sentence「風俗科学」昭和28年11月号掲載の河竹春陽「女の腰湯考」を読んで、腰湯というものの実情を初めて知りました。今も温泉に行くと足湯がありますが、その下半身版です。これが、ただの健康や清潔のためではない習慣と化してました。

この記事時点でも腰湯の習慣は残っている地域があって、毎日患者が入浴することができない代わりに、腰湯に浸かれるようになっていた病院もあったようです。今も健康法をとして推奨している人たちもいるのですが、風呂に入ればいいのですから、実践をしている人は極少数でしょう。

簡単にシャワーを浴びたり、風呂に入ったりできなかった時代の人たちは行水をしました。大きな木のたらいに水を入れて、体を浸す。夏に汗を流し、こちらは体を冷やすために行われたものです。私は育ちが北海道だったためか、見た記憶はないですが、おそらく私の子どもの頃でもまだやっている人たちはいたでしょう。今でも子どもは水遊びをしますから、ここまでは理解できます。

ここで取り上げている腰湯は体を冷やすのとは逆で、女たちがやります。着物や腰巻の裾を上げて、下半身をたらいの湯に浸す。清浄のためと、腰を温めるためです。体が冷えやすい女のための工夫だったわけです。

浮世絵でも日本画でも、行水をテーマにしたものがよくありますが、そのうちの何割かは行水ではなく、腰湯かもしれない。

お湯を使った行水であれば理解はできるのですが、腰湯の面白い点はここからです。

 

 

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