松沢呉一のビバノン・ライフ

日本女子大は「青鞜」の活動を妨害した—女言葉の一世紀 158-(松沢呉一)

シャーロット・パーキンス・ギルマンの台所廃止構想—女言葉の一世紀 157」の続きです。

 

 

 

岩野泡鳴による女子教育批判

 

vivanon_sentence岩野泡鳴は、シャーロット・パーキンス・ギルマンの「台所なしの家庭」構想を持ち出し、家庭で料理を作らなくてよくなることによって、学校で料理を教える必要もなくなると言ってます。

岩野泡鳴は女学校で料理を教えることに対して強い憤りがあります。この料理は自立のため、社会進出のためのものではなく、家庭内でなされる料理であり、夫と子どものためです。他に教えるべきことがあるだろうと。

男女と貞操問題 から。

 

家政、料理、生花、音楽、低級の学問等は決して婦人その物の教育でない。若し婦人がただ結婚の動物であって、家にあっては無給料のコックや会計に過ぎないとすれば、現今のやうな教育法でも構ふまい。が、そんな社会は、もう、いつまでも存在することは出来ない。

現代は、段々進歩した男子に対して進歩した婦人を要求してゐる。この意を短言すると、その独自を教育せられた婦人が必要になって来たのである。婦人も男子と同様一個の人間である。男子に個人的教育が必要なら、婦人にもそれが無くてはならない。

旧思想の人々は男子に対しても先づ社会の道具になれと教へる位だから、婦人に対してなほ更さうであるを免れなかった。然し現代の世界的趨勢は男子並に婦人に対して先づ個人としてその立ち場を確立すやうるに(「するやうに」の誤植と思われる)要求して来た。結婚などは第二もしくは第三の問題であって、先づ第一に問題とすべきは男女共に人間としての自覚だ。

 

家政、料理、生花、音楽が低級の学問というのは失礼ですが、ここも「女学校で教える家政、料理、生花、音楽」という意味でしょう。音楽は琴のことです。これらは花嫁修業の意味しかなかったわけですから、社会に向けては意味がなく、低級です。

 

 

女学校が良妻賢母一辺倒になった経緯

 

vivanon_sentence既存の女子教育に対しては強く批判していますが、良妻賢母については一定その価値は認めています(岩野泡鳴は良妻賢母ではなく、賢母良妻という言葉を使ってます。当時は良妻賢母を使う人も、賢母良妻を使う人もどちらもいますが、以下、引用文を除いて、今まで通り良妻賢母で統一します)。いい妻であり、賢い母が望ましいのは人情として当たり前、しかし、それだけしかない教育は幼稚だと言ってます。

女子教育が良妻賢母一辺倒になったのは、初期の女学校はミッション系だったり、創立者がクリスチャンだったため、欧化主義の影響を受け、その結果、「お転婆、はね返り、不従順、いや味な趣味」が蔓延し、これに対する批判が起き、その反動で良妻賢母が力を持ち、これが学校にとっては都合がよく、「眠ってゐても女学校などは経営出来る」ということになったと説明しています。

岩野泡鳴はこれを必ずしも悪いこととはとらえておらず、むしろ皮相な欧化主義が男女を同じと考えたことが間違いだとしています。そうならないために、学校が男と女に別の教育をするのはいいとして、その内容が古すぎて、時代についていけておらず、もっと開放的に、もっと進んだ教育をすべしと主張。たいていは結婚するのだから、結婚を前提にした教育もいいとして、親から独立するのも増え、共働きが肯定される時代に合った教育をすべきってことです。

女子大についても同じ。

 

女子大学が創設せられた当時は、同大学の意気込みは決して今のやうなみじめな状態に終らうとしなかったらう。が、同校の校長があの俗物であるところへ持って来て、明治三十年頃から盛んになった賢母良妻主義が最も俗受けの又安全の方針であるのを知って、それを採用し出したので、女子に高等教育を授けること——従って、家庭専門女子ばかりが出ないこと——などはほんの棚にあげてしまって、世間体のいいやうに、いいやうにとするやうになった。

 

この時代に女子大学と言えば日本女子大です(当時は日本女子大学校。お茶の水は東京女子高等師範学校ですから、混同することはなかったはず)。この校長は成瀬仁蔵。この人もクリスチャンです。岩野泡鳴によると、進歩的な学生たちからはあまり評判がよくなかったようです。

日本女子大のサイトより、開校式(1901年4月20日)

 

 

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