松沢呉一のビバノン・ライフ

婦人立小便論—消えた習俗[中]-[ビバノン循環湯 556] (松沢呉一)

女の腰湯考—消えた習俗[上]-[ビバノン循環湯 555]」を「スナイパーEVE」に書いた時にFacebookでついでのように書いた話を改めてまとめました。

 

 

 

女の立小便史

 

vivanon_sentence続けてもうひとつ「風俗科学」から。昭和28年10月号に日下部昌三「婦人立小便論」が掲載されております。この記事は面白い。その面白さに進む前に、ざっと女の立小便史について書いておきます。

京の女の立小便」という言葉があるくらいで、江戸時代、京都では道端に桶が置かれていて、女でも立小便をしておりました。江戸では若い娘が公然と立小便をするようなことはなかったため、驚きなり、軽蔑なりが含まれた言葉ですけど、立小便は田舎に行けばどこでもやっていました。

明治以降も同じです。当世の娘たちの各種無作法をあげつらった土橋呑洋著娘四十八僻』(1897年/明治30年)に「尻をつまんで立小便をする娘」も無作法娘として挙げられていて、以下のように書かれています(コンパクトにまとめ、現代語にしました)。

 

女が小便する際に、ボーッと立ってするのではなく、必ずしゃがんでやるべきである。小便するにも女らしくすべきなのだ。ところが、無教養の女子は、無頓着に、巡査に捕まって罰金を払いかねないところでも、小便をしたくなると、尻を振って立ったままで、申し訳程度に尻をつまんで、シューシャーと布引きの水(※)より勢い良く垂れ流し、おまけに、その上から、鼻の先をつまんで手鼻をかみ、それが当たり前だといった顔をして、人がいても平気で、「どうもご機嫌よろしゅう」などとやっている。

※神戸六甲山の布引きの滝のことと思われる

 

19世紀が終わらんとする頃でもこういうのがいたわけです。

この本は大阪で出ているのですが、著者は東京育ちとあって、関西の話も関東の話も出ています。現在は芦川というところに住んでいるよう。山梨県に芦川という場所があるのですが、関西のどこかにもそういう地名があったのかもしれず、このエピソードがどこの話かの記述はありません。布引きが出ていることから、関西であろうとわずかに想像できるくらい。

鮮やかに手鼻をかむ人は今も稀にいて、私もああいう人になりたいと思ってやってみたことがあるのですが、難しくて挫折しました。ちり紙のなかった時代には手鼻をするか、手拭にでもするしかないのだし、ちり紙が出てきたところで、高かった時代にはもったいないので使わない。当然、放尿したあともそうです。

江戸では早い時期から再生紙による落とし紙、つまり便所紙が出回るようになってましたが、再生紙が出回らない地域の女子は小便をし終えたあとでも拭かなかったはずで、だからここでも、拭いたとは書かれておらず、「拭きもしないで」とも書かれていません。そのことは問題にはならなかったのです。

なお、この本には野糞をする娘や放屁をする娘も取り上げられています。

※同書より「酒を呑む娘」。千鳥足になったり、吐いたりするので、娘は一滴も飲むべきではないと書いてます。神近市子も酒で失敗しましたしね。

 

 

名古屋女の立小便

 

vivanon_sentence青柳有美も『日本美人論』(1913年/大正2年)で女の立小便について書いています。

この本は「日本」を冠にしながら、また、末尾に「美男美女論」みたいなものもついていながら、大半は名古屋女について書いてます。時の総理大臣・桂太郎の妻を筆頭に、女優から花柳界まで名古屋出身の女が席巻していることに目をつけて、名古屋女の秘密に迫るといった趣旨の内容です。

青柳有美はこき下ろすのが得意で、それで人気を得た作家です。この本でも名古屋女を誉め称えるかと思いきや、名古屋以外の場所で名古屋女が活躍するのは、日本を代表する豊饒な濃尾平野が米を外に送り出しているのと同じく女を送り出しているといった雑駁な論からなる娯楽本です。真剣に読むようなものではなく、得意の悪口連発です。

輸出する場合は高く売れる美人を外に出すため、名古屋から出た女には上玉が多く、褒めるべきは名古屋の外に出た名古屋女で、名古屋には残りかすの不美人ばかりになり、「名古屋女の立小便」と題された章では、名古屋の女がいかに無作法で品がないかを書いています。

 

 

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