松沢呉一のビバノン・ライフ

便所紙と人肥とズロースと袴—消えた習俗[下]-[ビバノン循環湯 557] (松沢呉一)

婦人立小便論—消えた習俗[中]」の続きです。

 

 

 

女が立小便をしなくなった理由・松沢説

 

vivanon_sentence日下部昌三「婦人立小便論」で展開されている「女が立小便をしなくなった理由」は面白くはあるのですけど、もう少し細部ってもんが必要だと思います。

私は、洋装になったため、あるいは着物でも下着をつけるようになったために立小便をやりにくくなったとの説を提唱しておきます。

着物であれば、裾を上げてチャッとしておしまい。足や尻に垂れたところで、ほっとけば乾きます。日下部昌三「婦人立小便論」でも、田舎で立小便をする女たちは拭かないと指摘しています。成分は汗と一緒であり、風通しがいいので、それほど不潔でもなかろうかと思います。

男はプルプルっと振れば済みますから、ふんどしもそうは汚れない。しかし、女は拭かないと、どうしても汚れますから、日本においては密着した女性用下着が発達せず、腰巻きまでで留まったのは合理的です。西洋文化のズロースだってゆったりした作りでしたし。

日本女性がズロースをつけるようになったきっかけは昭和7年の白木屋火災とされていて、これには異論もあるのですけど、このエピソードが「下着をつけるべし」という流れに利用されたことは間違いがなくて、昭和初期においては着物の下には下着はつけないのが一般的でした。今でも線が出ることを嫌って、つけない人もいますしね。

ズロースも肌には密着せず、よって拭かなくても汚れにくかったわけですが、それでも脚に伝った場合は汚れますし、湿気がこもってニオイが出やすく、雑菌が繁殖しやすいので、ズロースとともに小用のあとも紙で拭くことが必須になったのだと思われます。

メトロポリタン美術館の収蔵品より、1890年頃のフランスのズロース(Drawers)。これなんざ、腰巻きでしょう。

※ズロースについては「太平洋戦争中でも活躍していたズロース泥棒」も参照のこと。

 

 

袴の採用

 

vivanon_sentenceもうひとつの要因は袴です。女学校で袴が制服化したことによって、立小便は難しくなります。男だったら、袴をめくってチンコを出すことができますが、女子が無理をすると袴につきます。

袴は当初は伝統的な股のあるズボン状のものでしたが、のちに股の部分のない行灯袴も出てきます。おそらくこれはトイレの便(「大便」の便じゃなく、「便利」の便です)をよくするためもあったのでしょうが、厚い生地ですから、相変わらず立小便には向かないし、そもそも女学校では立小便は推奨されない。

ここは日下部昌三説とはまったく逆の作用です。行動的であり、体操だってできる服装として採用された袴が立小便を駆逐したのです。土橋呑洋は、無教養の女子が立小便をすると書いていました。女学校に行くような層から立小便をしなくなったことと辻褄が合います。

いざこうなると衛生観念が強化されて、「小便が垂れても気にしない」というそれまでの方法は忌避されて、おしとやかな日本女性はしゃがんで小便をするというのが望ましき規範になっていき、ここにおいて日下部昌三の言うような男女の規範が反映されていそうです。料理を作る女はしゃがんで小便して紙で拭かなければならないのだと。

※今時のズロース。楽天で990円。つい先頃、よくズロースをはいている知人に聞いたところ、「ロリ系の格好をすると、服によっては下着が見えるので、ドロワーズをはくことが多い」と言ってました。普通の下着をその下につけているので、見せパンです。その時も堂々見せくれました。なお、今は日本語訛りのズロースより、「ドロワーズ」が一般的なようです。

 

 

武家の作法が俗化した

 

vivanon_sentence今でも保存されている武家屋敷の厠を見ると、とてもきれいです。手が加わっていることもありますが、畳に木製便器が埋め込まれていたりします。あれだと、シッコを散らすわけにはいかず、武家の女たちはおそらく早い段階からしゃがみ小便だったのではなかろうか。

武家の作法が俗化し、すべての階層に押しつけられていくのが明治であり、女学校はまさにその役割を果たしたわけです。

しかし、田舎では高いビルなんてないですから、火災時のことなど考える必要もなく、とくに明治時代だと女学校に行くのも少ないため、しゃがんでする習慣が身に付かず、戦後でも下着をつけない着物姿の人たちは少なくなかったこともあって、相変わらず立小便がしやすい。

この説の傍証になるのは江戸では女は立小便をしなかった事実です。武家の作法が広く影響し、再生紙は江戸初期から発達し、落とし紙も浸透し、早くから江戸では小便のあとでも拭いたのかもしれない。

それ以外の場所では、たいしたことではないとは言え、どうしてもオシッコ臭くなるので、毎日風呂に入るわけではない時代の女たちは腰湯に入ったのであります。話がつながりました。

でも、まだクリアしなければならない点があります。

ナショナルジオグラフィックのサイトより「体操をする女学生」by Eliza R. Scidmore 色は当時彩色したものでしょう。幼すぎて、女学校の生徒とは思えず、東京女子師範学校附属小学校か中学校の生徒ではなかろうか。今のお茶の水大学附属です。

 

 

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