小野不由美著『十二国記』で見えてくるもの—メディアをめぐる不可解な現実[16]-(松沢呉一)-(松沢呉一)
「常識の欠落と読書はあんまり関係がない—メディアをめぐる不可解な現実[15]」の続きです。
『十二国記』の謎
一昨日の猫町倶楽部の読書会については改めて書くとして、新潮社の担当編集者である岑(みね)さんも『闇の女たち』を売りに来てまして、今年会ったのは初めてだったので、思い切り小野不由美著『十二国記』の話を聞いてしまいました(直接の担当ではないですが、デスクとして彼の担当ですので、一通りのことはわかってます)。
読んでないのに、私は『十二国記』の虜です。「本が売れない」ということが出版界の、あるいは社会の了解事項になっている中で、『十二国記』現象に注目せざるを得ない。
シリーズ累計1,200万部(この数字から一ヶ月経っているのでたぶんもっと増えている)、昨年出た「白銀の墟 玄の月」の4冊は初刷50万部で即増刷。日本の出版史に例のないことが起きています。
本の効果的なプロモーションは作者が前に出ることです。インタビューを受けたり、サイン会等の書店イベントに出たり、トークイベントに出たり、テレビに出たり。しかし、小野不由美さんは取材を一切受けてなくて、写真も公開していません。公開の場にも出ず、山本周五郎賞の授賞式も音声のみで、本人は出席せず。
2002年にはNHKがアニメ化していますが、テレビや映画とからめたメディアミックスの成果というわけでもなく、純然たる作品の力なのです。
もちろん、これだけ売れるからには版元や書店の仕掛けがあったり、広告代理店の戦略があったり、さらには偶然が作用していたりもして、その辺の話や「十二国記」の原型は新潮社から出て、続いて講談社から出て、以降はまた新潮社から出た事情も岑さんに教えてもらって、いよいよ『十二国記』には詳しくなりました。
全面広告の衝撃
しかし、案外これに注目していない人が多いのです。周りでこれを読んでいるのは岑さんしかおらず、読んでいないどころか、タイトルや著者名さえ認識されていない。それがまた面白い。
『十二国記』は架空の世界を舞台にしたファンタジーですが、著者も、読者もファンタジー世界の人々なのではないかとさえ思えてきます。
そちらの世界では、昨年12月12日は「十二国記」の日と制定され、朝日新聞の朝刊で前面広告が出ました。
地域によってデザインが違う全面カラー広告
そりゃ、そんだけ売れれば全面広告も出せますけど、新潮文庫全体の全面広告はあっても、一シリーズで全国で新聞の全面広告を出すのは新潮社としても異例です。
ここでちょっと私は気になりました。このシリーズの始まりは1991年ですから、その時から読んでいる人は40代以上ですが、今現在手にとる人は年齢層が低い。10代から20代が中心。新聞の読者層とはまったくかぶりません。同じ金を使うんだったら、もっと訴求力のある媒体があるでしょう。
広告の文面を読むと、すでに読んでいる人への感謝になっているのですけど、それにしたって新聞じゃないだろうと。
岑さんに聞いたら、あの広告は文面通りのお礼の意味合いとともに、業界的、社会的なアプローチだったそうです。出版界騒然の出来事のはずなのに、そのことをわかっている人たちがあまりに少ない。そのことを知らしめるってことです。
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