松沢呉一のビバノン・ライフ

大澤昇平に対する東大の懲戒解雇処分—懲戒の基準[40]-(松沢呉一)

社内恋愛禁止によってもたらされる問題をどう解決するか—懲戒の基準[39]」の続きです。

 

 

 

東京大学は大澤昇平を懲戒解雇処分に

 

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大澤昇平に対する東大の懲戒処分が先日公表されました

 

 

 

 

<認定する事実>

 大澤特任准教授は、ツイッターの自らのアカウントにおいて、プロフィールに「東大最年少准教授」と記載し、以下の投稿を行った。

(1) 国籍又は民族を理由とする差別的な投稿
(2) 本学大学院情報学環に設置されたアジア情報社会コースが反日勢力に支配されているかのような印象を与え、社会的評価を低下させる投稿
(3) 本学東洋文化研究所が特定の国の支配下にあるかのような印象を与え、社会的評価を低下させる投稿
(4) 元本学特任教員を根拠なく誹謗・中傷する投稿
(5) 本学大学院情報学環に所属する教員の人格権を侵害する投稿

 

 

事実関係を確認し、本人からの聞き取りもしなければならないので時間がかかります。

再発防止策がないなどと批判している人たちがいますが、懲戒処分自体、再発防止策であり、とくに処分の公開はその意味がありますから(東京大学における懲戒処分の公表基準)、「どこ見てんだ」って話かと。また、この文書内容はタイトル通りに懲戒処分の公表であって、同時に東京大学大学院情報学環・学際情報学府も学府長の名で「大澤昇平特任准教授に対する懲戒処分について」を公開し、「原因究明と再発防止策に関する調査委員会を設置」などの対策を表明しています。こっちはさらに時間がかかりましょう。

懲戒処分の公表について」では、大澤昇平による「反日勢力」って言葉をそのまま使っている点について批判が出てます。私も一読してここはひっかかりはしましたが、「反日」はネトウヨ専用語ではなく、ネトウヨが生み出した言葉でもなく、「中国の反日運動」といったように一般に使用されてきましたし、東アジア反日武装戦線のように左翼も使用していた言葉です。明らかな誤用というわけではないですから、そんなところにこだわっても意味がない。とっとと話を進めます。

就業時間内ではなく、大学の敷地内でもなく、大学の備品を使ったわけでもなく、その内容も大学に直接関するものではないSNSの書き込みについて大学が処分するには、所属する大学の教員であることが明示されているのか否かが問題になります。「「東大最年少准教授」と記載し」の部分です。これがあるのとないのでは大違い。

投稿内で明示されていてもいいわけですけど、そのことがわからないアカウントで、大学と無関係な発言で懲戒にすることは限りなく難しい。「本人は伏せていたのに、名前や顔写真で第三者が所属を確定して流布することによって広く知られた場合はどうなんか」といった、判断しにくいケースもあるわけですが、この場合はそこに疑問がまったくありません。

東大のサイトで過去の懲戒処分もざっと見たのですが、実名を公開されていないケースも多くあります。東京大学における懲戒処分の公表基準に名前についてのはっきりとした規定はないのですが、同規定の趣旨からすると、今回は懲戒解雇であることと自ら好んでそのことを公表した投稿に対する処分であったこと(プライバシー侵害の虞がない)が関わっているのだろうと思われます。

東大のこの処分は妥当だと思いますが、「あんな差別野郎は解雇されて当然」というわけではなく、東大のルールに照らして妥当という意味です。しかし、その言動と処分を規程に照らして検討したものが見当たらず、そのために意味のない東大批判が出ているようです。もう少し詳しく見ていくことで、その批判のどこが間違っていて、不満のある人たちはどこをどうすればいいのか具体的に指摘します。

※大澤昇平著『AI救国論』。騒動があってから批判するのは簡単ですが、騒動がある前から批判的レビューが複数書き込まれていることに注目。こうありたい。

 

 

差別発言の比重が軽いのは少しもおかしくない

 

vivanon_sentence大澤昇平は大学側の報告書を公開しています。

 

 

 

このツイートで「ヘイトよりも例のチームに関する投稿の方が罪が重いようです。差別どうでも良くなってません?」と彼は言っていて、たしかに差別発言についてはサラリと触れている印象です。

分量が多いことが重視していることにはならず、少ないことが軽視していることにもならないわけですが、そうだとしたって、懲戒上の軽重からするとおかしくなくて、彼は差別発言で騒がれたために誤解していて、同じく誤解した人が差別発言だけで「解雇だ」と主張することで、いよいよ彼はこのことが重大に判断されると勘違いしたのだろうと思います。

差別発言を重視すること自体はいいのですが、それが懲戒の重さに直結するわけではありません。重視することをそのまま懲戒に求めるのは間違いです。懲戒はルールに基づくしかなくて、処分が軽すぎると感じることはあっていいとして、ルールに則った判断がなされている以上、あとはルールの制定なり改正なりによって改善されるしかないでしょう(改善がどこまで可能なのかは次回見ていきます)。現状できないことを求めることはルール違反を求めることにしかなりません。

ここではあくまで懲戒として正当か否かについて論じます。

 

 

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